No.7442

頂いた台本を持って自分たちに宛てがわれた部屋でマネージャーと向き直る。言いたいことは、既に把握しているのだろう。けれど、私は改めて言った。
「濡れ場のあるお仕事は控えて頂きたいとお願いしたのですが」
「……すみません。ご事情も、お気持ちも、理解しているつもりですが……この仕事は、棗さんが引き受けるべきだと判断させて頂きました」
マネージャーの物言いは柔らかいが、私たちは一歩も譲ろうとはしていない。少し鋭い視線と睨み合ってから、ようやく彼は呆れたように言った。
「紡さんも、今は安定していると伺いました。……棗さんのお仕事を自分のせいで削りたいとも、思っていないでしょう」
「……どうしても、のことがあれば……明日、再度お話しますからね」
「……わかりましたよ」
マネージャーは私たちのことを頭ごなしに否定したりはしない。理解もしてくれているのだろう。それでも……水物である芸能界において、世間の需要を無視していては生き残れない。
結婚してから、棗巳波は大人の色香を纏うと紹介されるようになった。それ故に、ファン層から求められているのは真に、今回のような仕事なのだろう。妻に、帰ったらお話したいことがある、とラビチャを送り、残りの一日を消化した。
「……いいんじゃないでしょうか?」
クッションを抱きしめながら、ソファに半分寝転びながら、彼女は拍子抜けするほど簡単に言った。きちんと説明できなかったのかと、むしろ私の方が慌ててしまう。
「……濡れ場、ですよ、濡れ場。……貴方以外と抱き合う描写を作るんです」
「俳優さんですから……まあ、年齢的にも、今の需要的にも、そういうこともあるんじゃないでしょうか」
「……貴方は大丈夫ですか」
「なつみなのファンとしては……見たいですね」
「……なつみな、の妻としては?」
「うーん……お仕事……ですものね……」
並行線の話し合い。私たちの視線も並行してテレビを見つめている。特になんてことのない、しいていうなら彼女は勉強のためだと言って、毎日この時間のドラマを興味無さそうに見つめていた。今週は、主人公の女性が噛ませ役の男に拐かされる……在り来りで、何が面白いのか分からない、それはこのドラマの評判や視聴率にも反映されていたが、妻はたまに、思い出したようになにかメモを取っている。……同じ作り手側であるはずなのに、演者の私と、そうでない彼女との間には、なにか別のものが見えているらしい。
「……私は……貴方が少しでも病んでしまわないか心配なんですよ。今は落ち着いているといっても。……確かに、本当に素肌で抱き合うことはしません。インティマシー・コーディネーターも着くという話です……ですが、映像としては、私と女優が愛し合い、セックスをするシーンが作り出されます。録画も、編集も、演出も……完成品を見れば、誰も私たちのセックスを疑いやしない」
「やすやすと見抜かれてしまうフィクションに出演される方が、反対したくなりますよ。ファンとしても……妻としても、出るなら立派な作品に出ていただきたいと思います」
「……貴方は傷つきませんか」
「……いちいち気にしてちゃ、お仕事出来なくなってしまいますよ」
ちら、と表情を盗み見ても彼女の視線はエンドロールを追っている。いつの間にか終わったドラマに興味が尽きたのか、彼女は番組表を物色していた。
「……今回の監督は、昔からのお付き合いで、私の成長を見守って下さっていたような方です……少しくらいのわがままなら通してくださるでしょう」
「あんまりわがまま言っちゃ、ダメですよ」
「……貴方の言い分はよーくわかりました。でも……」
彼女がこちらへ視線を寄越す前に、彼女の上に倒れ込んだ。彼女の首元に頭を埋めると、甘い彼女の汗の匂いがふわり漂う。突然の事に驚いたのか、彼女はしばらくしてからようやく、私の背に手を回した。
「……私が嫌なんです」
「え」
「貴方とも……今もお互いの仕事のせいで、満足に、出来ている、とは言い難いでしょう。なのに仕事では、どうでもいい人を抱かなきゃならない……ならばせめて……撮影が終わるまでは、いつもより甘やかしてくださいよ。毎日、責任を持って、私のされるがままになって」
「……巳波さん……」
唇を奪い、抱き合って、やがて離れて、甘える猫のように彼女に抱きついていると、やがてそっと頭を撫でられた。小さな子を、あやすような優しい手つきに、今日一日の疲れが溶かされていくようだ。
「……今日は……あまり、時間、無いんですけど」
「なら、巻きで。仕事を引き受けるべきだと言った貴方にも、責任があると思って」
「うーん……仕方ないですね」
くす、と微笑んで、彼女は頷き、私の首に腕を回した。今度は彼女の方から唇が重なる。甘く、誘うように――。
「……ちゃんとお仕事、頑張ってくださいよ」
「……頑張った結果、病まないでくださいよ」
「……その時は……また、巳波さんが、どうにかしてください」
「全く……」
へらっと笑う彼女が、何も不安に思っていないはずがない。それでも彼女は私のために、わがままを言わなかった。私が寂しい、それも確かにあるけれど……。
「……ドラマで見せる私は作り物です。けれど……貴方の前だけが、本物ですからね」
「……ふふ。……ありがとうございます……巳波さん……」
その言葉に、目の端がほんの少し揺れたのを、見逃しはしなかった。
畳む 4日前(日 16:21:42) SS
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