2024年の投稿[3338件](66ページ目)
リュウ
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みなつむSS 私で繋ぎ止めて day1
眩い光に照らされて、思わず紡は目をつぶった。
刹那。
音。光。振動。身体中で感じるその全て。自分では経験したことの無い、そんな圧に、紡は怯えながら目を開けた。
――歓声。
「……な、に、これ」
観客は皆、興奮気味でこちらを見つめている。手にはサイリウム、うちわ、よくわからない横断幕のようなものまで様々だ。耳元で鳴り響く音、そっと手でなぞり……理解する。
……イヤモニだ。
「ちょっと!ちょっと、紡!」
ぼーっと立っていた紡の名前を、知っている声が呼んだ。透き通る、淡い声。……しかし、紡は彼にそう呼ばれたことはなかったはずだった。小鳥遊さん、アイドリッシュセブンのマネージャーさん。そして、紡は……彼のことをいつも、亥清さんと呼んでいたはずで。
しかし、彼はマイクから口を離しながら、紡の耳元で怒ったように囁く。
「パート忘れたの!?ステップも踏んで!今、パフォーマンス中でしょ!?」
そう、まるで、彼が自分のユニットのメンバーにそう言うかのように。そうしているうちに、困惑気味の紡の視界の端で、何かが大きく動いた。視線を動かす。大きく空中で弧を描き、着地する。歓声がより大きくなる。――御堂虎於、その人だった。
「なんだよ、ツム、調子悪いのか?俺とトラでカバーすっから、ハルといい感じに休んでろよ」
「い、狗丸さん……?」
「は?なんでそんな他人行儀なんだよ。俺たち、メンバーだろ」
「え……」
近づいてきた狗丸トウマは、そう耳打ちして紡にウインクして、虎於の元へ走っていく。対して悠は、紡の腕を引く。
「まったくもう、本番なんだからちゃんとしてよね!あと5曲、歌える?無理そうなら、なんとかMCで休ませてもらうから言って!それか俺がパート変わるから!……わかった!?」
「……は、い……」
ライトの色が赤に変わっていく。光が、虎於とトウマをメインに照らす。紡と悠が、注目されづらくなっていく。アイドルを引き立たせる舞台演出……普段、自分がやっていることだ。
紡は、息を大きくはいて、吸って……理解する。
ここは、ステージの上なのだ。
驚いたことに、紡は「歌えた」し、「踊れた」。ŹOOĻのことは、確かにアイドリッシュセブンと友好的なユニットとして関わりは多くあったが、曲まで完全にコピーしてパフォーマンス出来るほど知っているつもりではなかった。でも、やろうと思ったら出来てしまった。体に動きが染み付いていたのだ。まるで、そう……今までずっとそうしてきたかのように。
ステージが暗転し、うまく動けずにいる紡の腕を、強引に悠が掴み、そのまま袖にはけていった。ライブは終わったのだ。逆に言えば……自分は、ライブのステージに立っていたのだ……ŹOOĻと一緒に。流れに身を任せつつも、やはり混乱したままの紡に、お疲れ様です、お疲れ様です、とスタッフの声がかかる。渡されたタオルと飲み物を受け取りながら、お疲れ様です、と機械的に返していく。そうして。
「……皆さん、お疲れ様でした。今日も盛況でしたね」
はい、狗丸さん。はい、亥清さん。はい、御堂さん。
……はい、小鳥遊さん。そう呼ぶ声に、紡ははっとする。
「どうして……棗さんが」
ライブ衣装ではなく、スーツに身を包み、アイドルたちに声をかけ、微笑みかけている彼こそ、ステージに立っているべきだったアイドル、棗巳波だ。紡が思わず言った言葉を測りかねているのか、巳波は首を傾げながら、ああ、と一言。
「今日はちょっとパフォーマンスで戸惑ってしまっていたようですけれど、スケジュールがキツかったでしょうか?後で調整しましょうね。すみません、私の力が及ばなくて。まだまだ、マネージャーって、慣れなくて……」
「マネージャー……?」
「ホントだよ巳波!紡がもっとライブで力出せるようにしてよ!やっぱ昨日、あんな時間まで仕事だったからぼーっとしちゃったんだよ」
「あらあら、申し訳ありませんでした。ふふ」
「笑ってないで!紡はまだアイドルとしては新人なんだから――」
何を言っているんだろう、まだはっきりしない……いや。はっきりはしているが、混乱している頭で、名前で呼び合うアイドル衣装の三人と、スーツを着た巳波を見つめていると、巳波と突然目が合った。瞬間、紡に微笑みかけ、他の人に見えないように、そっと手招きする。
「てかさ、今日のMCのトラ――」
「あれは――だって――」
「そもそも――」
楽しく談笑しているŹOOĻに、そっと近づいてみる。もう少しこっち、と無言で巳波の手に導かれていく。
一歩、一歩。近づくと、三人が紡を振り返った。
「なあ、ツムだってそう思うだろ?」
「違うよね!?トウマも虎於もおかしいよね!?」
「俺はおかしくないだろう!?」
ぐるぐる回り続ける頭のまま、紡は迷って……苦笑いをして、やり過ごした。
スケジュールも調整したいし、少しお話が伺いたい、と巳波に言われ、紡は待っていると聞かなかった三人を説き伏せ、先に打ち上げに行ってもらった。ステージメイクを落とし、私服に着替え、紡はようやくいつもの自分になれた、と安心していた。それでも、スーツではなく私服だ。慣れないと思いながら、ツクモプロダクションの一室に呼ばれ、緊張しながら扉をノックした。
変な夢だ。いつしか紡はそう思いながら、しかし何をやっても目覚める気配はなく、痛覚もある。身を任せるしかないのかもしれない、と思いながら、開けた先にいたのは巳波だ。ŹOOĻに宛てがわれている部屋は広く、紡はぼんやりと、小鳥遊プロダクションの事務室がいくつか入るな、なんて思いながら、勧められるがままにソファに座った。
「すみません、私が気が利かなかったせいで。SNSでも少し言われちゃってるみたいですけど……そんなことよくありますし、気にしないでくださいね?」
「ああ、はい、ええと……」
「お茶です。お菓子、最中買ってきたんですけれど。お嫌いでしたか?」
「いえ!嫌いなお菓子、ないです!」
「それはよかったです。他の方々、好き嫌いが激しいですし。貴方だけ素直な人で、助かります」
「あ、あはは……」
アイドリッシュセブンとŹOOĻとは最近現場が重なることも多い。必然的に巳波に会うことも増えていた。それでも、マネージャーの巳波に会うのは当然初めてだ。それも、自分のマネージャーとして……。彼は気がつくほうだから普段からよく動くけれど、マネージャーだからそれ以上に仕事をしているように見えて、紡はどうにも落ち着かない。本来自分がやるはずのことをアイドルに押し付けているような、そんな罪悪感が胸の中に渦巻く。
「いいんですよ、アイドルなんだから。お世話させてください」
そんな紡の胸中を見抜いているかのように、巳波は皿に載せた最中を紡の前に置いた。自分の分も置いて、紡と机を挟んで座る。……ちゃっかり、二つ食べるつもりらしくて、そういえば食べることが好きなんだっけ、と思うとなんだか微笑ましくなって口元が緩んでしまう。……と、いつの間にかばっちり目が合っていて、紡は気恥ずかしくなって慌てて出されたお茶に口をつけた。
「どうでした、ライブは。頭、真っ白になっちゃいました?」
「あ、ええと……本当に申し訳なく……」
「いいんですよ。初めてのライブで数万人の人間に見られて、完璧にパフォーマンス出来る方がおかしいんです。途中止まってしまっていたところ以外はできてましたよ、ちゃんと見てましたからね。最後、頑張りましたね」
「ありがとうございます」
よく頑張りました、と言いながら最中を頬張る巳波を見つめながら、紡は少し前のことを思い出す。ステージの上。三人にフォローされながら、やるしかないと思ってこなした数曲。不思議なことに歌声はそれなりで、ダンスもそこそこできた。見ていた、頑張っていた、普段自分がアイドルたちを見つめてかけていた言葉を改めて聞いてみるといまは……非常に心強く感じた。
「……ところで私、初めてのライブだったんですか?」
「え?」
「ああ、いえ!……は、初めてで……したね!」
きょとん、と紡を見つめる巳波を見て、慌てて取り繕う。そうだ、この夢の中ではおそらく自分はそれなりにアイドル活動をしている。いきなりマネージャーに自分が初めての舞台だったのか聞くようでは、心配されてしまうだろう。巳波はそんな紡を見つめながら、返す。
「歌もダンスもハイパフォーマンスなあの三人のライブのなかに貴方を入れると聞いた時には戦慄したものですけれどね、貴方の歌声も全然劣っていませんでしたよ」
「そんな、お世辞は……」
「自分のアイドルにお世辞言って得があります?」
「まあ、多少は……」
「ふふ、まあ、そうかもしれませんね」
それでも貴方に自信を持って欲しいのは本当なんですよ、と言って、巳波は微笑んだ。つられて、紡も微笑んだ。マネージャーの巳波とは、紡も気が合いそうだ。少しだけ心が軽くなる。いつもの気持ちで接して大丈夫そうだと、そう感じたのだった。
「わざわざお時間とっていただき、褒めていただいてありがとうございました!元気出ました、えへへ」
「いいんですよ。アイドルは褒められるのが仕事です。……それに」
紡の先程の感覚は、直感であったのかもしれない。
「私も先日、朝起きたら急にマネージャーになっていてびっくりしていたんです。貴方もそうだったんでしょう?少し……お話しませんか」
ねえ、小鳥遊さん。小鳥遊プロダクションのマネージャー、小鳥遊紡さん。紡の頭からほんの少しずつ、こぼれ始めた言葉を、かき集めるように。巳波の声が耳元を擽った。
どうぞ、と巳波が運転席から声をかけたとき、思わず紡は「免許持ってましたっけ」と返して暫し呆けていたのだが、巳波はただ笑って助手席を勧めた。勧められるがまま、紡は助手席に座り、運転席の巳波を見やった。
「どうやらマネージャーの私は普通免許を持っているし、運転にも慣れているようなんです。不思議なんですけれど、運転したことないのに自然に走れるんですよ。大丈夫、もう慣れるくらいには彼らの送迎もしましたから」
「はあ……」
「逆に言うと、貴方は免許を持っていないそうなので。おそらく頭から運転の仕方も抜けているんでしょうけれど……気をつけてくださいね」
「わかりました」
ちょっと遠回りして、打ち上げにお送りします、そう言ってから巳波は車を出した。付けていたラジオから、リクエストでŹOOĻの歌が流れた時、紡はその中に明らかに自分の声が混ざっているのに気がついて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「不思議ですよね。つい昨日まで、この世界のŹOOĻは三人組だったんです。歌声も三人分だった。それなのに、今日になった途端、貴方が入っていたんですよ。まるで、ずっとそうだったかのように……さすがに夢なのかと思ったのですが、先程の貴方の反応を見ると……夢にしてはよく出来すぎていますよね」
「……棗さんはこれが……現実だと思っているんですか」
「最初は私も信じていませんでした。明晰夢の類かと思っていて。まあ楽しむかな、くらいの気概でいたんですけれど……これがなかなか覚めなくて、焦ってきてしまったんですよね」
紡は窓の外をぼんやり見つめながら、道行く人たちを見やる。スモークガラスだから、向こうからこちらは見えていないのだろう。ふと目に付いたポスターにはŹOOĻがいた。亥清悠、狗丸トウマ、御堂虎於……小鳥遊紡。男女混合四人組アイドル。そう、まるで最初からそうであったかのように、ポスターの中の紡は中性的な雰囲気で、しかし彼ら同然まるで噛み付くような顔をして、こちらを見つめている。当然、撮った覚えのない写真なのに、紡の頭の中では撮影した日に三人と笑いあった記憶が、早回しで再生されていた。
「他の人にも試みたんですが、元の世界のことを覚えているのは……いえ……おそらく私と同じ世界からここへ来てしまったのは、貴方だけなんだと思います」
「……なんだか、フィクションのような話ですね」
「ドラマとかでありそうですよね。昔、そんなドラマに出たことがあったような……」
「ああ、見たことありますよ。棗さんが子役の頃の……えっと……タイトル……は……」
「……無理ですよ。この世界に存在しないものは、思い出すことなんかできません。一度忘れてしまったものは……」
「……変な感じ」
「よかった、その感覚を知ったのが私ひとりじゃなくて。共有できるって、幸せですね」
「そう……かもしれませんね……」
巳波はあくまで安全運転だったが、車の混む夜の三車線をすいすいと上手く走っていく。惚れ惚れしてしまうようなハンドルさばきと、長く白い指。紡はなんだかどぎまぎしてしまって、そっと視線を逸らした。
巳波は運転しながら、この世界で目が覚めた日――気がついたらマネージャーになっていた日のことから、今までのことまでを、簡潔に話した。この日になるまで自分で何度もまとめなおしておいたのだと、笑いながら言った。そして今日の朝起きた時、この世界での記憶に紡が追加されていたのだと話した。
「この世界、私たちの知っている人の中でいない人が多いんです」
「いない人……」
「例えば、七瀬さんがいませんね」
「えっ」
「ŹOOĻは全員居たんですけれどね……Re:valeも存在しないです。なんだか、欠け方もおかしな感じでしょう。特に法則性も感じない……ですから、宇津木さんや貴方が居ないことにもなんの疑問も感じていなかったのに……急に現れたので驚きました」
「……私の事、覚えていてくださったんですね」
「……まあ、当たり前、です……よ。ふふ。深く気になさらないで?」
「はあ……?」
はっきりしない言葉で濁された紡は首を傾げたまま、すぐに興味を無くしたように前方車両に目を移した。そんな紡の様子をしばし伺いながら、やがて巳波も小さくため息をついた。その口元は、ほんの少し歪んでいる。
「……棗さんのお話通り、これが夢じゃないなら」
フロントガラスに水滴が落ちる。ポタポタ、というよりはパチパチと音を立ててガラスが濡れていく。……そうして、強い雨が降り始めた。
「私たちは……どうすべきなんでしょう?」
ラジオをかき消すような雨音の中、投げられた紡の言葉に、逡巡、巳波は片手でハンドルを切りながら答えた。
「決まってるでしょう。二人でアイドルとマネージャーやりながら、元の世界に帰る方法を探すしかないじゃないですか」
「でも、そんなの」
「困るでしょう、私がいないŹOOĻなんて。貴方抜きのIDOLiSH7だって」
確かに言い切った巳波の熱に押されて、紡の瞳が強く光った。
勿論、この世界でのŹOOĻにも手を抜く気はないので……と微笑んだマネージャー・巳波とのスケジュール調整を終えてから、紡は打ち上げに顔だけ出し、メンバーにやいのやいの言われながら早めに家に帰った。この世界での紡の家は実家ではなく、風呂トイレ付きの小さなワンルームマンションの一室だった。部屋の趣味は同じだったので、多少安心したが。
巳波との会話を思い返している中、巳波が「一度忘れたらもう思い出せない」と言っていたのを反芻し、紡は慌てて適当なメモ帳を取り出した。
この世界にいないと聞いた人達の名前。元の世界での自分。元の世界でのIDOLiSH7。とりあえず、思いつく限りを言葉にしてみた。
それからしばらく経っても色々と思い巡らせていたが、思った以上に体が疲れていたようで、メモ書きまで終えてしまうとぐったりと居間の床に倒れこんだ。巳波に調整してもらったおかげで、明日は昼まで眠っていても仕事に間に合うはずだ。シャワーを浴びていない。メイクを落としていない。着替えていない。しかして初めて経験したライブステージの疲れというのは凄まじく、紡はそのまま意識を手放していった。
翌朝、紡は何やら振動音で少しずつ意識を取り戻していった。目覚めてしばらくしてもぼんやりと天井と電気の傘を見つめていたが、はっとしてそれがマナーモードのスマホの着信だと気づき、飛び起きた。現在時刻は……すっかり夕方を回りそうな時計の針を見て、スマホに表示された「棗巳波」の文字に怯えながら……息を吸い込み、応答した。
『もしかして寝てました?』
第一声からにこやかにそう言う声は何処か恐ろしい。それはそうだ。今から急いで身支度をしても、撮影の時刻に間に合わない。紡は頭の中が真っ白になるのを感じていた。マネージャーとして働いている時でさえ、寝坊なんて滅多なことじゃないとしでかさなかったのに……。
『いいですよ、混乱しないで。とりあえず迎えに行くので、準備しておいてください、間に合わなくてもいいですから』
「あ、えと……シャワー……メイク……えっと……」
『それならとりあえずシャワー浴びてて下さい。貴方の家の鍵、持ってるので……ドアロックだけ外しておいて。メイクと髪の毛は手伝いますから』
「えっ、ああ、いや、えと」
『仕事、穴あけるつもりで?』
「いえ!とんでもありません!」
『では言うこと聞いてシャワー浴びててくださいね』
紡の返事を待たずに巳波が通話を切った。紡は慌てながらもシャワー、シャワー、と言葉を繰り返しながら脱衣所へ向かいかけて、ああドアロック!と急いで振り返って外した。バタバタと服を脱ぎ、寝ぼけた頭でそのままシャワーを頭から浴びれば冷水で、慌ててお湯に切り替える。
頭に過ぎるのはアイドルが穴を開けた時の現場のことばかりだ。いくら急いだってもう間に合わない。おそるおそるスマホを確認したが、着信はあの一回だけではなかった。半ば青ざめながら急いで体を洗い、とりあえず着替えていたところでインターホンと共に、鍵を開ける音がした。脱衣所の扉にノックが響く。
「小鳥遊さん、棗ですけど、お邪魔しますよ」
「あ、あ、ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいです。体洗えました?」
「か、髪の毛……乾かし……」
「服着たら出てきてください、身支度手伝います」
「現場……は……」
「タレントが何かしでかした時に現場をなんとかするのがマネージャーでしょう。アイドルの貴方がいま心配すべきは現場でどう謝るかではなく、最短で身支度をすることです。良いから、私を信じて……私の言うことを聞いて。私は」
――貴方のマネージャーですから。紡は急いでワンピースを被りながら、みじたく、みじたく、と小さく呟いていた。とりあえず出ていった紡を見て、巳波は小さく呆れたように笑って、紡の部屋からカーディガンを持ってきて、手渡した。それから居間の椅子に座るように促す。机の上にミラーを置いて、その隣に置かれたのは紡の化粧ポーチだった。
「髪乾かしてますから、メイクしてて下さい」
「は、は、はい」
「ŹOOĻっぽく」
「それってどういう……」
聞く間も無く、巳波はドライヤーを持ってきて紡の髪の毛を容赦なく梳いていく。温風と人の体温でまた半分寝そうになる紡を、たまに巳波がそっと揺り起こす。紡は瞼にシャドウを乗せながら、幼い頃、父親に髪の毛を乾かされていたことを思い出す。
「……棗さんって」
「はい」
「お父さんみたいですね」
「……知ってます?私たち、一歳しか変わらないんですよ」
「へへ……」
「余裕あるならアイライン引いてください?」
「すみません……」
とっくにドライヤーの音は止んでいたが、そのまま巳波は何処から持ってきたのかヘアアイロンとスタイリング剤で紡の髪の毛を仕上げていく。その上に自分ではしたことがないような精密な編み込みがなされていくのを鏡越しに見ながら、紡は心臓が高鳴るのを感じていた。
「……シャドウ、終わりですか?濃い色塗ります?それに合わせますけど、リボン編み込むので」
「えっと……」
「ああもう。黒にしておきますよ」
やがて出来上がった突貫工事のアイドル・小鳥遊紡は、マネージャー・棗巳波に腕を掴まれながら玄関を飛び出した。
結局仕事はなんとかこなしたが、紡は巳波と同じ角度で何度も関係者に頭を下げた。紡は心底、今日は一人の現場でよかった……と、彼女の"メンバー"のことを想った。
一日を終えたあと、送ります、と言われてまた紡は巳波の隣に座った。今日の仕事はこれ一件だけだ。……だけだったのに、大変なことにしてしまった。助手席に座ったとたん、紡はまた惨めな気持ちになり、項垂れていく。
「……ところで、昨日の話の続きなんですけど、小鳥遊さん……小鳥遊さん?」
巳波が話しかけても上の空だ。返事が返ってこない隣を見るなり、巳波は思い切りため息をついて、ウインカーを出した。
そのまま社用車は街を外れていく。巳波は小さく、この世界は今のところ地理は変わってないはず……と呟いて、ハンドルを切った。
着きましたよ、と言われてようやく紡は顔をあげた。しかし、紡の家ではない。駐車している車の扉を開けて数歩歩くと、お世辞にも綺麗とは言えない暖簾が紡と巳波を迎えた。
「あの……」
「夕食まだですから、食べてから送ろうと思って。起きてすぐ現場でしたし、お腹すいたでしょう」
「ここは?」
「小料理屋さんです。美味しいんですよ。皆さんと宇津木さんに連れてきてもらったことがあって」
覚えていたので、と微笑んだ巳波に続いて紡も店内に足を踏み入れる。煤けた床も、客を歓迎しているようには到底思えなかったが、狭い店内はほぼ満席で、おそらくサラリーマンと思しき人々が酒を飲み交わしているのが目立っていた。無愛想な、というよりも日本語が話せるのかもよくわからない店員に案内されて、二人が案内されたのは隅のテーブル席だった。幅は一人分あるかないかくらいの狭さ。巳波も紡も人より細身だから、なんとか入れたようなもんだった。
注文を取りに来た店員に巳波が何言か伝え、やがて二人の前に次々と和食が並んだ。ぽかんとしているままの紡を放って、巳波は手を合わせた。慌てて、紡も同じように手を合わせる。いただきます。揃った声にならって、紡は料理に口をつけた。
「あ、おいしい……」
「でしょう」
魚の煮付けを一口飲み込むと、紡の腹の音が鳴った。思わず巳波の顔を見ると、巳波も紡を見つめて微笑む。
「さあ食べて。明日もお仕事ですし、頑張ってもらわないと」
「すみません、ごちそうさまです……」
「私のおごりじゃないですよ。アイドルの食事は経費で落ちますので」
「ちゃっかりしてますね」
「当然の権利です。寝坊したアイドルのメンタルケアもしなくちゃいけなくなりましたしね、自腹切る理由もない」
「うっ……」
急に刺すように飛んできた事実にダメージを受けつつも、紡は料理を平らげていく。食べれば食べるほど、なんだか腹が減っていた気がしたのだ。結局、巳波のオススメで料理を追加して、紡は満腹になって、巳波にまた頭を下げた。
「すみませんでした、今日」
「いいえ。というか、もう結構です。そろそろ本題に入りたいので」
「本題?」
「車の中でお伝えしようと思っていたんですけれど、まったく話にならなかったので……お料理もしっかり食べていらしたし、頭、働きますかね」
「えっ!?あ……す、すみません……寝坊して……しまったなーって思ってて……」
「切り替えてください。いつもの貴方ならもう切り替えてるでしょう」
「すみません……」
「それで、本題なんですけれどね」
紡も巳波もまだ未成年なのはこの世界も変わらないようだった。こんな場所に来て、二人で酒ではなく、水を飲みながら、巳波はとりあえずつまみのメニューをいくつか頼んで、もうすこし滞在する意思を表明したようだった。刺身を一切れ口に入れながら、巳波は鞄から一冊のノートを取り出した。A5サイズのスケジュール帳だった。巳波はそのまま、細い指でページを捲る。マンスリーカレンダーから自由記入欄に代わり、巳波はそこに書いてあるメモ書きを指さして、紡にスケジュール帳を差し出した。そっと受け取って、紡はそれを見つめる。
「ずーる、四人組アイドル、メンバー棗巳波……パフォーマー、作曲担当……」
そこにはつらつらと巳波のプロフィールが書いてあった。紡も知っている情報から、巳波しか知りえないような情報までが羅列されている。一部は、巳波が指で隠して見せてくれなかったが……一通り読んでから、紡は巳波に促されるまま、次のページを捲った。そこに書いてあったのは、おおまかな紡のプロフィールだ。挟まっているのは、昨日紡が眠りに落ちる直前に書いていたメモ。それを参考に書いたらしかった。
「これ、私の……?」
「そうです。貴方が今日シャワーを浴びてる時、床に落ちていたメモを拾ったので……それに加えて私が知っているあなたの事を書いておきました。だから、ここに加筆していて欲しいんです、貴方しか知りえない情報や忘れたくないことを……別に私、読みませんから」
「……どうして?」
「メモを置いていたってことは、昨日の私の言葉は覚えていてくれたんでしょう。改めて言えば、この世界にいると……いればいるほど……記憶が抜け落ちていくんです。そして一度忘れたことはもう思い出せない。……だから、忘れたくないことを書いて、私が管理しておきたいんです」
「棗さんが?」
「マネージャーですから。……というより、本来なら一刻も早くこの世界から元の世界へ帰る方法を探した方がいいと思うんですけれど……私はともかく、貴方はこの世界の著名人です。居なくなれば騒ぎになってしまう。ですから、貴方はアイドルとして違和感なく仕事を続けていて欲しいんです。その間に、雑務の合間を縫って私が調べ物をしますから」
「……うーん、でも、そんなの、見つかるもんですかね?」
いまいち巳波の熱量が受け取れていない紡を見て、巳波はしばし指を絡めては解いて……やがて、紡の手を強く握った。
「見つけなくちゃ。私たち、帰らないと。ねえ、そうでしょう?」
「……そう、です、ね」
「ŹOOĻには私が必要で、アイドリッシュセブンには貴方が必要なんです。七瀬陸には、貴方が必要だ、そうでしょう」
「……七瀬陸……」
「そう、彼のことを忘れないで……ここにいない彼のことを忘れてしまったら、貴方は……」
ぎゅ。巳波の真剣な顔と、手に籠った力で、紡はとりあえず頷いて、ボールペンを走らせていく。巳波はそれを見守りながら……内心、非常に焦っていた。
どうして。たった一日で。自分がここへ来た時の何倍ものスピードで……。
――紡の記憶が、もう抜け落ち始めている。彼女が自分の最愛のアイドルの名前を聞いてもほうけているのを受けて、巳波は思わず爪を噛んでいた。
書いてみたんですけれど、と言って差し出した紡のプロフィールは短く、巳波は……そこに、更に巳波から見た彼女を付け加えていく。元の世界の彼女を。小鳥遊プロダクションのマネージャー、小鳥遊紡を。いや。小鳥遊紡という、女性を。
(忘れさせてやらない、絶対に……彼女が彼女を忘れないように……そうしなくては)
巳波は前のページ、自分のメモのページを見て……先程紡に隠して見せなかった部分を、声を出さずに読み直す。
――棗巳波は、小鳥遊紡に恋情を抱いている。彼女に告白する予定はない。
(……貴方のことは、必ず私が元の世界に帰す)
巳波はスケジュール帳を閉じて、紡にありがとうございました、と微笑んだ。微笑み返す紡は、大きな欠伸をひとつ、なんだか眠たげな様子だ。そのまま巳波は彼女のスケジュールを確認する。朝早い仕事ではなさそうで、ほっとした。
「それじゃあ、ご自宅までお送りしますよ。」
そう言って、巳波たちは小料理屋をあとにした。
社用車は紡のマンションに止まり、巳波は紡を部屋の前まで送った。
「今日はすみませんでした……あと、ごちそうさまでした」
「はいはい。それと、元の世界のこと。コピーしたもの、毎日声に出して朝読んでくださいね?」
「え〜、本当にやるんです?」
「私はやっていますよ。毎日眠る度に……記憶が抜けていることは感じていますし。日々、この世界の棗巳波に私が塗り替えられていく感じが……するんです。世界になんか、染められてやるもんですか。もう私は、私の意思しか認めない」
「……そうですか、そうですよね、私も……マネージャー……だし」
「もちろんです」
「……でも……」
「大丈夫、私が必ず……帰る方法を探してみせるから」
「……わ、私もお手伝いを」
「大丈夫ですよ。その代わり、一日が終わる前に必ずお話をしましょう?仕事終わりなら会ってでも、会えないようなら電話でいいから。そうやって、お互いにお互いを覚えたまま、ここを生きて帰りますよ」
「わ、わかりました」
「なので……これ以上、仕事、増やさないでくださいね?新人さん」
「あ、あはは……は、はい!」
「よろしい」
微笑んだ巳波が、そっと紡の頭を撫でた。紡はびっくりしたように、しかししばらく撫でられる間、目を閉じて心地よさそうにしていた。
――どくり、撫でられたまま、目を閉じたままの彼女を見ていると、想いが抑えられなくなりそうだ。巳波はふうと息をついて、そっとその手を下ろした。
「……おやすみなさい、小鳥遊さん、明日も迎えに来ますからね」
「はい、おやすみなさい!棗さん!」
そうやって、巳波は部屋に入っていく紡を見送った。……まだ鼓動は高鳴っている。衝動が溢れてきている。目をつぶって、息を吐いて、吸って。それらのすべてを、どこかへ放り投げた。
先程紡に見せていたスケジュール帳に、この世界についてわかったこと、というページがある。巳波が独自に調べたものが箇条書きになっており、そのうちのひとつに「元の世界へ帰るには、元の世界の記憶が少しでもあることが必要」と書いてある。
「……私は棗巳波。ŹOOĻの作曲家。そして……小鳥遊紡が、好き」
マンションを降りながら呟いて。しかし。
巳波はもう、自分が作っていたはずのメロディを口ずさむことは出来なくなっていた。
畳む 122日前(土 22:28:15) SS
眩い光に照らされて、思わず紡は目をつぶった。
刹那。
音。光。振動。身体中で感じるその全て。自分では経験したことの無い、そんな圧に、紡は怯えながら目を開けた。
――歓声。
「……な、に、これ」
観客は皆、興奮気味でこちらを見つめている。手にはサイリウム、うちわ、よくわからない横断幕のようなものまで様々だ。耳元で鳴り響く音、そっと手でなぞり……理解する。
……イヤモニだ。
「ちょっと!ちょっと、紡!」
ぼーっと立っていた紡の名前を、知っている声が呼んだ。透き通る、淡い声。……しかし、紡は彼にそう呼ばれたことはなかったはずだった。小鳥遊さん、アイドリッシュセブンのマネージャーさん。そして、紡は……彼のことをいつも、亥清さんと呼んでいたはずで。
しかし、彼はマイクから口を離しながら、紡の耳元で怒ったように囁く。
「パート忘れたの!?ステップも踏んで!今、パフォーマンス中でしょ!?」
そう、まるで、彼が自分のユニットのメンバーにそう言うかのように。そうしているうちに、困惑気味の紡の視界の端で、何かが大きく動いた。視線を動かす。大きく空中で弧を描き、着地する。歓声がより大きくなる。――御堂虎於、その人だった。
「なんだよ、ツム、調子悪いのか?俺とトラでカバーすっから、ハルといい感じに休んでろよ」
「い、狗丸さん……?」
「は?なんでそんな他人行儀なんだよ。俺たち、メンバーだろ」
「え……」
近づいてきた狗丸トウマは、そう耳打ちして紡にウインクして、虎於の元へ走っていく。対して悠は、紡の腕を引く。
「まったくもう、本番なんだからちゃんとしてよね!あと5曲、歌える?無理そうなら、なんとかMCで休ませてもらうから言って!それか俺がパート変わるから!……わかった!?」
「……は、い……」
ライトの色が赤に変わっていく。光が、虎於とトウマをメインに照らす。紡と悠が、注目されづらくなっていく。アイドルを引き立たせる舞台演出……普段、自分がやっていることだ。
紡は、息を大きくはいて、吸って……理解する。
ここは、ステージの上なのだ。
驚いたことに、紡は「歌えた」し、「踊れた」。ŹOOĻのことは、確かにアイドリッシュセブンと友好的なユニットとして関わりは多くあったが、曲まで完全にコピーしてパフォーマンス出来るほど知っているつもりではなかった。でも、やろうと思ったら出来てしまった。体に動きが染み付いていたのだ。まるで、そう……今までずっとそうしてきたかのように。
ステージが暗転し、うまく動けずにいる紡の腕を、強引に悠が掴み、そのまま袖にはけていった。ライブは終わったのだ。逆に言えば……自分は、ライブのステージに立っていたのだ……ŹOOĻと一緒に。流れに身を任せつつも、やはり混乱したままの紡に、お疲れ様です、お疲れ様です、とスタッフの声がかかる。渡されたタオルと飲み物を受け取りながら、お疲れ様です、と機械的に返していく。そうして。
「……皆さん、お疲れ様でした。今日も盛況でしたね」
はい、狗丸さん。はい、亥清さん。はい、御堂さん。
……はい、小鳥遊さん。そう呼ぶ声に、紡ははっとする。
「どうして……棗さんが」
ライブ衣装ではなく、スーツに身を包み、アイドルたちに声をかけ、微笑みかけている彼こそ、ステージに立っているべきだったアイドル、棗巳波だ。紡が思わず言った言葉を測りかねているのか、巳波は首を傾げながら、ああ、と一言。
「今日はちょっとパフォーマンスで戸惑ってしまっていたようですけれど、スケジュールがキツかったでしょうか?後で調整しましょうね。すみません、私の力が及ばなくて。まだまだ、マネージャーって、慣れなくて……」
「マネージャー……?」
「ホントだよ巳波!紡がもっとライブで力出せるようにしてよ!やっぱ昨日、あんな時間まで仕事だったからぼーっとしちゃったんだよ」
「あらあら、申し訳ありませんでした。ふふ」
「笑ってないで!紡はまだアイドルとしては新人なんだから――」
何を言っているんだろう、まだはっきりしない……いや。はっきりはしているが、混乱している頭で、名前で呼び合うアイドル衣装の三人と、スーツを着た巳波を見つめていると、巳波と突然目が合った。瞬間、紡に微笑みかけ、他の人に見えないように、そっと手招きする。
「てかさ、今日のMCのトラ――」
「あれは――だって――」
「そもそも――」
楽しく談笑しているŹOOĻに、そっと近づいてみる。もう少しこっち、と無言で巳波の手に導かれていく。
一歩、一歩。近づくと、三人が紡を振り返った。
「なあ、ツムだってそう思うだろ?」
「違うよね!?トウマも虎於もおかしいよね!?」
「俺はおかしくないだろう!?」
ぐるぐる回り続ける頭のまま、紡は迷って……苦笑いをして、やり過ごした。
スケジュールも調整したいし、少しお話が伺いたい、と巳波に言われ、紡は待っていると聞かなかった三人を説き伏せ、先に打ち上げに行ってもらった。ステージメイクを落とし、私服に着替え、紡はようやくいつもの自分になれた、と安心していた。それでも、スーツではなく私服だ。慣れないと思いながら、ツクモプロダクションの一室に呼ばれ、緊張しながら扉をノックした。
変な夢だ。いつしか紡はそう思いながら、しかし何をやっても目覚める気配はなく、痛覚もある。身を任せるしかないのかもしれない、と思いながら、開けた先にいたのは巳波だ。ŹOOĻに宛てがわれている部屋は広く、紡はぼんやりと、小鳥遊プロダクションの事務室がいくつか入るな、なんて思いながら、勧められるがままにソファに座った。
「すみません、私が気が利かなかったせいで。SNSでも少し言われちゃってるみたいですけど……そんなことよくありますし、気にしないでくださいね?」
「ああ、はい、ええと……」
「お茶です。お菓子、最中買ってきたんですけれど。お嫌いでしたか?」
「いえ!嫌いなお菓子、ないです!」
「それはよかったです。他の方々、好き嫌いが激しいですし。貴方だけ素直な人で、助かります」
「あ、あはは……」
アイドリッシュセブンとŹOOĻとは最近現場が重なることも多い。必然的に巳波に会うことも増えていた。それでも、マネージャーの巳波に会うのは当然初めてだ。それも、自分のマネージャーとして……。彼は気がつくほうだから普段からよく動くけれど、マネージャーだからそれ以上に仕事をしているように見えて、紡はどうにも落ち着かない。本来自分がやるはずのことをアイドルに押し付けているような、そんな罪悪感が胸の中に渦巻く。
「いいんですよ、アイドルなんだから。お世話させてください」
そんな紡の胸中を見抜いているかのように、巳波は皿に載せた最中を紡の前に置いた。自分の分も置いて、紡と机を挟んで座る。……ちゃっかり、二つ食べるつもりらしくて、そういえば食べることが好きなんだっけ、と思うとなんだか微笑ましくなって口元が緩んでしまう。……と、いつの間にかばっちり目が合っていて、紡は気恥ずかしくなって慌てて出されたお茶に口をつけた。
「どうでした、ライブは。頭、真っ白になっちゃいました?」
「あ、ええと……本当に申し訳なく……」
「いいんですよ。初めてのライブで数万人の人間に見られて、完璧にパフォーマンス出来る方がおかしいんです。途中止まってしまっていたところ以外はできてましたよ、ちゃんと見てましたからね。最後、頑張りましたね」
「ありがとうございます」
よく頑張りました、と言いながら最中を頬張る巳波を見つめながら、紡は少し前のことを思い出す。ステージの上。三人にフォローされながら、やるしかないと思ってこなした数曲。不思議なことに歌声はそれなりで、ダンスもそこそこできた。見ていた、頑張っていた、普段自分がアイドルたちを見つめてかけていた言葉を改めて聞いてみるといまは……非常に心強く感じた。
「……ところで私、初めてのライブだったんですか?」
「え?」
「ああ、いえ!……は、初めてで……したね!」
きょとん、と紡を見つめる巳波を見て、慌てて取り繕う。そうだ、この夢の中ではおそらく自分はそれなりにアイドル活動をしている。いきなりマネージャーに自分が初めての舞台だったのか聞くようでは、心配されてしまうだろう。巳波はそんな紡を見つめながら、返す。
「歌もダンスもハイパフォーマンスなあの三人のライブのなかに貴方を入れると聞いた時には戦慄したものですけれどね、貴方の歌声も全然劣っていませんでしたよ」
「そんな、お世辞は……」
「自分のアイドルにお世辞言って得があります?」
「まあ、多少は……」
「ふふ、まあ、そうかもしれませんね」
それでも貴方に自信を持って欲しいのは本当なんですよ、と言って、巳波は微笑んだ。つられて、紡も微笑んだ。マネージャーの巳波とは、紡も気が合いそうだ。少しだけ心が軽くなる。いつもの気持ちで接して大丈夫そうだと、そう感じたのだった。
「わざわざお時間とっていただき、褒めていただいてありがとうございました!元気出ました、えへへ」
「いいんですよ。アイドルは褒められるのが仕事です。……それに」
紡の先程の感覚は、直感であったのかもしれない。
「私も先日、朝起きたら急にマネージャーになっていてびっくりしていたんです。貴方もそうだったんでしょう?少し……お話しませんか」
ねえ、小鳥遊さん。小鳥遊プロダクションのマネージャー、小鳥遊紡さん。紡の頭からほんの少しずつ、こぼれ始めた言葉を、かき集めるように。巳波の声が耳元を擽った。
どうぞ、と巳波が運転席から声をかけたとき、思わず紡は「免許持ってましたっけ」と返して暫し呆けていたのだが、巳波はただ笑って助手席を勧めた。勧められるがまま、紡は助手席に座り、運転席の巳波を見やった。
「どうやらマネージャーの私は普通免許を持っているし、運転にも慣れているようなんです。不思議なんですけれど、運転したことないのに自然に走れるんですよ。大丈夫、もう慣れるくらいには彼らの送迎もしましたから」
「はあ……」
「逆に言うと、貴方は免許を持っていないそうなので。おそらく頭から運転の仕方も抜けているんでしょうけれど……気をつけてくださいね」
「わかりました」
ちょっと遠回りして、打ち上げにお送りします、そう言ってから巳波は車を出した。付けていたラジオから、リクエストでŹOOĻの歌が流れた時、紡はその中に明らかに自分の声が混ざっているのに気がついて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「不思議ですよね。つい昨日まで、この世界のŹOOĻは三人組だったんです。歌声も三人分だった。それなのに、今日になった途端、貴方が入っていたんですよ。まるで、ずっとそうだったかのように……さすがに夢なのかと思ったのですが、先程の貴方の反応を見ると……夢にしてはよく出来すぎていますよね」
「……棗さんはこれが……現実だと思っているんですか」
「最初は私も信じていませんでした。明晰夢の類かと思っていて。まあ楽しむかな、くらいの気概でいたんですけれど……これがなかなか覚めなくて、焦ってきてしまったんですよね」
紡は窓の外をぼんやり見つめながら、道行く人たちを見やる。スモークガラスだから、向こうからこちらは見えていないのだろう。ふと目に付いたポスターにはŹOOĻがいた。亥清悠、狗丸トウマ、御堂虎於……小鳥遊紡。男女混合四人組アイドル。そう、まるで最初からそうであったかのように、ポスターの中の紡は中性的な雰囲気で、しかし彼ら同然まるで噛み付くような顔をして、こちらを見つめている。当然、撮った覚えのない写真なのに、紡の頭の中では撮影した日に三人と笑いあった記憶が、早回しで再生されていた。
「他の人にも試みたんですが、元の世界のことを覚えているのは……いえ……おそらく私と同じ世界からここへ来てしまったのは、貴方だけなんだと思います」
「……なんだか、フィクションのような話ですね」
「ドラマとかでありそうですよね。昔、そんなドラマに出たことがあったような……」
「ああ、見たことありますよ。棗さんが子役の頃の……えっと……タイトル……は……」
「……無理ですよ。この世界に存在しないものは、思い出すことなんかできません。一度忘れてしまったものは……」
「……変な感じ」
「よかった、その感覚を知ったのが私ひとりじゃなくて。共有できるって、幸せですね」
「そう……かもしれませんね……」
巳波はあくまで安全運転だったが、車の混む夜の三車線をすいすいと上手く走っていく。惚れ惚れしてしまうようなハンドルさばきと、長く白い指。紡はなんだかどぎまぎしてしまって、そっと視線を逸らした。
巳波は運転しながら、この世界で目が覚めた日――気がついたらマネージャーになっていた日のことから、今までのことまでを、簡潔に話した。この日になるまで自分で何度もまとめなおしておいたのだと、笑いながら言った。そして今日の朝起きた時、この世界での記憶に紡が追加されていたのだと話した。
「この世界、私たちの知っている人の中でいない人が多いんです」
「いない人……」
「例えば、七瀬さんがいませんね」
「えっ」
「ŹOOĻは全員居たんですけれどね……Re:valeも存在しないです。なんだか、欠け方もおかしな感じでしょう。特に法則性も感じない……ですから、宇津木さんや貴方が居ないことにもなんの疑問も感じていなかったのに……急に現れたので驚きました」
「……私の事、覚えていてくださったんですね」
「……まあ、当たり前、です……よ。ふふ。深く気になさらないで?」
「はあ……?」
はっきりしない言葉で濁された紡は首を傾げたまま、すぐに興味を無くしたように前方車両に目を移した。そんな紡の様子をしばし伺いながら、やがて巳波も小さくため息をついた。その口元は、ほんの少し歪んでいる。
「……棗さんのお話通り、これが夢じゃないなら」
フロントガラスに水滴が落ちる。ポタポタ、というよりはパチパチと音を立ててガラスが濡れていく。……そうして、強い雨が降り始めた。
「私たちは……どうすべきなんでしょう?」
ラジオをかき消すような雨音の中、投げられた紡の言葉に、逡巡、巳波は片手でハンドルを切りながら答えた。
「決まってるでしょう。二人でアイドルとマネージャーやりながら、元の世界に帰る方法を探すしかないじゃないですか」
「でも、そんなの」
「困るでしょう、私がいないŹOOĻなんて。貴方抜きのIDOLiSH7だって」
確かに言い切った巳波の熱に押されて、紡の瞳が強く光った。
勿論、この世界でのŹOOĻにも手を抜く気はないので……と微笑んだマネージャー・巳波とのスケジュール調整を終えてから、紡は打ち上げに顔だけ出し、メンバーにやいのやいの言われながら早めに家に帰った。この世界での紡の家は実家ではなく、風呂トイレ付きの小さなワンルームマンションの一室だった。部屋の趣味は同じだったので、多少安心したが。
巳波との会話を思い返している中、巳波が「一度忘れたらもう思い出せない」と言っていたのを反芻し、紡は慌てて適当なメモ帳を取り出した。
この世界にいないと聞いた人達の名前。元の世界での自分。元の世界でのIDOLiSH7。とりあえず、思いつく限りを言葉にしてみた。
それからしばらく経っても色々と思い巡らせていたが、思った以上に体が疲れていたようで、メモ書きまで終えてしまうとぐったりと居間の床に倒れこんだ。巳波に調整してもらったおかげで、明日は昼まで眠っていても仕事に間に合うはずだ。シャワーを浴びていない。メイクを落としていない。着替えていない。しかして初めて経験したライブステージの疲れというのは凄まじく、紡はそのまま意識を手放していった。
翌朝、紡は何やら振動音で少しずつ意識を取り戻していった。目覚めてしばらくしてもぼんやりと天井と電気の傘を見つめていたが、はっとしてそれがマナーモードのスマホの着信だと気づき、飛び起きた。現在時刻は……すっかり夕方を回りそうな時計の針を見て、スマホに表示された「棗巳波」の文字に怯えながら……息を吸い込み、応答した。
『もしかして寝てました?』
第一声からにこやかにそう言う声は何処か恐ろしい。それはそうだ。今から急いで身支度をしても、撮影の時刻に間に合わない。紡は頭の中が真っ白になるのを感じていた。マネージャーとして働いている時でさえ、寝坊なんて滅多なことじゃないとしでかさなかったのに……。
『いいですよ、混乱しないで。とりあえず迎えに行くので、準備しておいてください、間に合わなくてもいいですから』
「あ、えと……シャワー……メイク……えっと……」
『それならとりあえずシャワー浴びてて下さい。貴方の家の鍵、持ってるので……ドアロックだけ外しておいて。メイクと髪の毛は手伝いますから』
「えっ、ああ、いや、えと」
『仕事、穴あけるつもりで?』
「いえ!とんでもありません!」
『では言うこと聞いてシャワー浴びててくださいね』
紡の返事を待たずに巳波が通話を切った。紡は慌てながらもシャワー、シャワー、と言葉を繰り返しながら脱衣所へ向かいかけて、ああドアロック!と急いで振り返って外した。バタバタと服を脱ぎ、寝ぼけた頭でそのままシャワーを頭から浴びれば冷水で、慌ててお湯に切り替える。
頭に過ぎるのはアイドルが穴を開けた時の現場のことばかりだ。いくら急いだってもう間に合わない。おそるおそるスマホを確認したが、着信はあの一回だけではなかった。半ば青ざめながら急いで体を洗い、とりあえず着替えていたところでインターホンと共に、鍵を開ける音がした。脱衣所の扉にノックが響く。
「小鳥遊さん、棗ですけど、お邪魔しますよ」
「あ、あ、ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいです。体洗えました?」
「か、髪の毛……乾かし……」
「服着たら出てきてください、身支度手伝います」
「現場……は……」
「タレントが何かしでかした時に現場をなんとかするのがマネージャーでしょう。アイドルの貴方がいま心配すべきは現場でどう謝るかではなく、最短で身支度をすることです。良いから、私を信じて……私の言うことを聞いて。私は」
――貴方のマネージャーですから。紡は急いでワンピースを被りながら、みじたく、みじたく、と小さく呟いていた。とりあえず出ていった紡を見て、巳波は小さく呆れたように笑って、紡の部屋からカーディガンを持ってきて、手渡した。それから居間の椅子に座るように促す。机の上にミラーを置いて、その隣に置かれたのは紡の化粧ポーチだった。
「髪乾かしてますから、メイクしてて下さい」
「は、は、はい」
「ŹOOĻっぽく」
「それってどういう……」
聞く間も無く、巳波はドライヤーを持ってきて紡の髪の毛を容赦なく梳いていく。温風と人の体温でまた半分寝そうになる紡を、たまに巳波がそっと揺り起こす。紡は瞼にシャドウを乗せながら、幼い頃、父親に髪の毛を乾かされていたことを思い出す。
「……棗さんって」
「はい」
「お父さんみたいですね」
「……知ってます?私たち、一歳しか変わらないんですよ」
「へへ……」
「余裕あるならアイライン引いてください?」
「すみません……」
とっくにドライヤーの音は止んでいたが、そのまま巳波は何処から持ってきたのかヘアアイロンとスタイリング剤で紡の髪の毛を仕上げていく。その上に自分ではしたことがないような精密な編み込みがなされていくのを鏡越しに見ながら、紡は心臓が高鳴るのを感じていた。
「……シャドウ、終わりですか?濃い色塗ります?それに合わせますけど、リボン編み込むので」
「えっと……」
「ああもう。黒にしておきますよ」
やがて出来上がった突貫工事のアイドル・小鳥遊紡は、マネージャー・棗巳波に腕を掴まれながら玄関を飛び出した。
結局仕事はなんとかこなしたが、紡は巳波と同じ角度で何度も関係者に頭を下げた。紡は心底、今日は一人の現場でよかった……と、彼女の"メンバー"のことを想った。
一日を終えたあと、送ります、と言われてまた紡は巳波の隣に座った。今日の仕事はこれ一件だけだ。……だけだったのに、大変なことにしてしまった。助手席に座ったとたん、紡はまた惨めな気持ちになり、項垂れていく。
「……ところで、昨日の話の続きなんですけど、小鳥遊さん……小鳥遊さん?」
巳波が話しかけても上の空だ。返事が返ってこない隣を見るなり、巳波は思い切りため息をついて、ウインカーを出した。
そのまま社用車は街を外れていく。巳波は小さく、この世界は今のところ地理は変わってないはず……と呟いて、ハンドルを切った。
着きましたよ、と言われてようやく紡は顔をあげた。しかし、紡の家ではない。駐車している車の扉を開けて数歩歩くと、お世辞にも綺麗とは言えない暖簾が紡と巳波を迎えた。
「あの……」
「夕食まだですから、食べてから送ろうと思って。起きてすぐ現場でしたし、お腹すいたでしょう」
「ここは?」
「小料理屋さんです。美味しいんですよ。皆さんと宇津木さんに連れてきてもらったことがあって」
覚えていたので、と微笑んだ巳波に続いて紡も店内に足を踏み入れる。煤けた床も、客を歓迎しているようには到底思えなかったが、狭い店内はほぼ満席で、おそらくサラリーマンと思しき人々が酒を飲み交わしているのが目立っていた。無愛想な、というよりも日本語が話せるのかもよくわからない店員に案内されて、二人が案内されたのは隅のテーブル席だった。幅は一人分あるかないかくらいの狭さ。巳波も紡も人より細身だから、なんとか入れたようなもんだった。
注文を取りに来た店員に巳波が何言か伝え、やがて二人の前に次々と和食が並んだ。ぽかんとしているままの紡を放って、巳波は手を合わせた。慌てて、紡も同じように手を合わせる。いただきます。揃った声にならって、紡は料理に口をつけた。
「あ、おいしい……」
「でしょう」
魚の煮付けを一口飲み込むと、紡の腹の音が鳴った。思わず巳波の顔を見ると、巳波も紡を見つめて微笑む。
「さあ食べて。明日もお仕事ですし、頑張ってもらわないと」
「すみません、ごちそうさまです……」
「私のおごりじゃないですよ。アイドルの食事は経費で落ちますので」
「ちゃっかりしてますね」
「当然の権利です。寝坊したアイドルのメンタルケアもしなくちゃいけなくなりましたしね、自腹切る理由もない」
「うっ……」
急に刺すように飛んできた事実にダメージを受けつつも、紡は料理を平らげていく。食べれば食べるほど、なんだか腹が減っていた気がしたのだ。結局、巳波のオススメで料理を追加して、紡は満腹になって、巳波にまた頭を下げた。
「すみませんでした、今日」
「いいえ。というか、もう結構です。そろそろ本題に入りたいので」
「本題?」
「車の中でお伝えしようと思っていたんですけれど、まったく話にならなかったので……お料理もしっかり食べていらしたし、頭、働きますかね」
「えっ!?あ……す、すみません……寝坊して……しまったなーって思ってて……」
「切り替えてください。いつもの貴方ならもう切り替えてるでしょう」
「すみません……」
「それで、本題なんですけれどね」
紡も巳波もまだ未成年なのはこの世界も変わらないようだった。こんな場所に来て、二人で酒ではなく、水を飲みながら、巳波はとりあえずつまみのメニューをいくつか頼んで、もうすこし滞在する意思を表明したようだった。刺身を一切れ口に入れながら、巳波は鞄から一冊のノートを取り出した。A5サイズのスケジュール帳だった。巳波はそのまま、細い指でページを捲る。マンスリーカレンダーから自由記入欄に代わり、巳波はそこに書いてあるメモ書きを指さして、紡にスケジュール帳を差し出した。そっと受け取って、紡はそれを見つめる。
「ずーる、四人組アイドル、メンバー棗巳波……パフォーマー、作曲担当……」
そこにはつらつらと巳波のプロフィールが書いてあった。紡も知っている情報から、巳波しか知りえないような情報までが羅列されている。一部は、巳波が指で隠して見せてくれなかったが……一通り読んでから、紡は巳波に促されるまま、次のページを捲った。そこに書いてあったのは、おおまかな紡のプロフィールだ。挟まっているのは、昨日紡が眠りに落ちる直前に書いていたメモ。それを参考に書いたらしかった。
「これ、私の……?」
「そうです。貴方が今日シャワーを浴びてる時、床に落ちていたメモを拾ったので……それに加えて私が知っているあなたの事を書いておきました。だから、ここに加筆していて欲しいんです、貴方しか知りえない情報や忘れたくないことを……別に私、読みませんから」
「……どうして?」
「メモを置いていたってことは、昨日の私の言葉は覚えていてくれたんでしょう。改めて言えば、この世界にいると……いればいるほど……記憶が抜け落ちていくんです。そして一度忘れたことはもう思い出せない。……だから、忘れたくないことを書いて、私が管理しておきたいんです」
「棗さんが?」
「マネージャーですから。……というより、本来なら一刻も早くこの世界から元の世界へ帰る方法を探した方がいいと思うんですけれど……私はともかく、貴方はこの世界の著名人です。居なくなれば騒ぎになってしまう。ですから、貴方はアイドルとして違和感なく仕事を続けていて欲しいんです。その間に、雑務の合間を縫って私が調べ物をしますから」
「……うーん、でも、そんなの、見つかるもんですかね?」
いまいち巳波の熱量が受け取れていない紡を見て、巳波はしばし指を絡めては解いて……やがて、紡の手を強く握った。
「見つけなくちゃ。私たち、帰らないと。ねえ、そうでしょう?」
「……そう、です、ね」
「ŹOOĻには私が必要で、アイドリッシュセブンには貴方が必要なんです。七瀬陸には、貴方が必要だ、そうでしょう」
「……七瀬陸……」
「そう、彼のことを忘れないで……ここにいない彼のことを忘れてしまったら、貴方は……」
ぎゅ。巳波の真剣な顔と、手に籠った力で、紡はとりあえず頷いて、ボールペンを走らせていく。巳波はそれを見守りながら……内心、非常に焦っていた。
どうして。たった一日で。自分がここへ来た時の何倍ものスピードで……。
――紡の記憶が、もう抜け落ち始めている。彼女が自分の最愛のアイドルの名前を聞いてもほうけているのを受けて、巳波は思わず爪を噛んでいた。
書いてみたんですけれど、と言って差し出した紡のプロフィールは短く、巳波は……そこに、更に巳波から見た彼女を付け加えていく。元の世界の彼女を。小鳥遊プロダクションのマネージャー、小鳥遊紡を。いや。小鳥遊紡という、女性を。
(忘れさせてやらない、絶対に……彼女が彼女を忘れないように……そうしなくては)
巳波は前のページ、自分のメモのページを見て……先程紡に隠して見せなかった部分を、声を出さずに読み直す。
――棗巳波は、小鳥遊紡に恋情を抱いている。彼女に告白する予定はない。
(……貴方のことは、必ず私が元の世界に帰す)
巳波はスケジュール帳を閉じて、紡にありがとうございました、と微笑んだ。微笑み返す紡は、大きな欠伸をひとつ、なんだか眠たげな様子だ。そのまま巳波は彼女のスケジュールを確認する。朝早い仕事ではなさそうで、ほっとした。
「それじゃあ、ご自宅までお送りしますよ。」
そう言って、巳波たちは小料理屋をあとにした。
社用車は紡のマンションに止まり、巳波は紡を部屋の前まで送った。
「今日はすみませんでした……あと、ごちそうさまでした」
「はいはい。それと、元の世界のこと。コピーしたもの、毎日声に出して朝読んでくださいね?」
「え〜、本当にやるんです?」
「私はやっていますよ。毎日眠る度に……記憶が抜けていることは感じていますし。日々、この世界の棗巳波に私が塗り替えられていく感じが……するんです。世界になんか、染められてやるもんですか。もう私は、私の意思しか認めない」
「……そうですか、そうですよね、私も……マネージャー……だし」
「もちろんです」
「……でも……」
「大丈夫、私が必ず……帰る方法を探してみせるから」
「……わ、私もお手伝いを」
「大丈夫ですよ。その代わり、一日が終わる前に必ずお話をしましょう?仕事終わりなら会ってでも、会えないようなら電話でいいから。そうやって、お互いにお互いを覚えたまま、ここを生きて帰りますよ」
「わ、わかりました」
「なので……これ以上、仕事、増やさないでくださいね?新人さん」
「あ、あはは……は、はい!」
「よろしい」
微笑んだ巳波が、そっと紡の頭を撫でた。紡はびっくりしたように、しかししばらく撫でられる間、目を閉じて心地よさそうにしていた。
――どくり、撫でられたまま、目を閉じたままの彼女を見ていると、想いが抑えられなくなりそうだ。巳波はふうと息をついて、そっとその手を下ろした。
「……おやすみなさい、小鳥遊さん、明日も迎えに来ますからね」
「はい、おやすみなさい!棗さん!」
そうやって、巳波は部屋に入っていく紡を見送った。……まだ鼓動は高鳴っている。衝動が溢れてきている。目をつぶって、息を吐いて、吸って。それらのすべてを、どこかへ放り投げた。
先程紡に見せていたスケジュール帳に、この世界についてわかったこと、というページがある。巳波が独自に調べたものが箇条書きになっており、そのうちのひとつに「元の世界へ帰るには、元の世界の記憶が少しでもあることが必要」と書いてある。
「……私は棗巳波。ŹOOĻの作曲家。そして……小鳥遊紡が、好き」
マンションを降りながら呟いて。しかし。
巳波はもう、自分が作っていたはずのメロディを口ずさむことは出来なくなっていた。
畳む 122日前(土 22:28:15) SS
リュウ
>
みなつむR18ネタ
「小鳥遊さん、セックスの経験はおありですか?」
「え!?」
「仕事に必要な話なので」
「えっと、じゃあ……ないです……けど……」
「そうですか。ありがとうございます。ちなみに仕事には関係ないです」
「棗さん……?」
っていう悪ふざけ巳波
内心(ないんだな……)って思ってる
畳む 122日前(土 20:12:42) 二次語り
「小鳥遊さん、セックスの経験はおありですか?」
「え!?」
「仕事に必要な話なので」
「えっと、じゃあ……ないです……けど……」
「そうですか。ありがとうございます。ちなみに仕事には関係ないです」
「棗さん……?」
っていう悪ふざけ巳波
内心(ないんだな……)って思ってる
畳む 122日前(土 20:12:42) 二次語り
リュウ
>
この前のみなつむSSの続きっぽい夢を見た
あの後二人で会って不倫。ホテルのランチを食べに行くと言ってホテルでセックス。その後もずるずると関係が続く。
やがて巳波の夫婦関係が、紡のことは無関係にやや破綻していっている。巳波は人恋しくなるし、その時に紡に会いたくなってしまう。
巳波の奥さんも巳波も自宅の他に仕事場に近い物件を借りていて(巳波の奥さんは家を含めた三軒、巳波は家を含めて四軒)、飲み会で酔った紡を巳波はそのうちの一軒に連れて帰っている。
誰にも内緒ですよ……と言いつつ。巳波は紡を襲いながらも切なくなって、寂しくなって、好きだって言いながら抱くし、私のものでいて……離れていかないで……みたいになって、紡が困る
紡は連絡忘れてたので旦那さんに怒られて……言い訳して……二人はバレてないけど巳波はもういっそ、バラしてしまった方がいいのではくらいに思っている
畳む
というところで夢は終わってた 122日前(土 11:01:27) 二次語り
あの後二人で会って不倫。ホテルのランチを食べに行くと言ってホテルでセックス。その後もずるずると関係が続く。
やがて巳波の夫婦関係が、紡のことは無関係にやや破綻していっている。巳波は人恋しくなるし、その時に紡に会いたくなってしまう。
巳波の奥さんも巳波も自宅の他に仕事場に近い物件を借りていて(巳波の奥さんは家を含めた三軒、巳波は家を含めて四軒)、飲み会で酔った紡を巳波はそのうちの一軒に連れて帰っている。
誰にも内緒ですよ……と言いつつ。巳波は紡を襲いながらも切なくなって、寂しくなって、好きだって言いながら抱くし、私のものでいて……離れていかないで……みたいになって、紡が困る
紡は連絡忘れてたので旦那さんに怒られて……言い訳して……二人はバレてないけど巳波はもういっそ、バラしてしまった方がいいのではくらいに思っている
畳む
というところで夢は終わってた 122日前(土 11:01:27) 二次語り
リュウ
>
トウつむ SS secret date
「狗丸さん、そのまま行く気ですか」
お先に、と部屋を出てきた俺を追いかけて腕を掴んだミナが、怪訝そうな顔で耳打ちした。何が?と首を傾げてみると、呆れたように首を振る。
「私が思うに、年頃の女性はもっとロマンチックなデートをご希望かと。雰囲気くらい整えていったらいかがです」
「えっ!?今日の俺なんか変!?……じゃなくて、で、デートってなんだよ!そんなわけないだろ、トラじゃあるまいし」
「逆に御堂さんじゃないから心配なんですよ……」
「いや、だからその。ちょっと友達と遊びに行くだけ……でぇ……」
「そのお友達も、今日はお友達と遊びに行くって張り切ってましたけれど」
「えっ」
まったく、危なっかしいお二人ですね、とため息をつくミナに連れられて、別室で髪をとかされて、少しワックスで整えられた。最近は専らストレートに仕上げることが多かったから、少し束を作るだけで印象が変わる。それから少しだけ目元にメイクされて、ああ、誰だこれ?俺っぽくない。戸惑っているうちに、「俺」が仕上がった。
「それじゃあ、お友達によろしく」
「あ、いや、あの、ミナ、えっと、いや、俺は」
「亥清さんは気づいてないと思いますけど、御堂さんはわかってると思いますよ、ご参考までに。けれどあまり派手な行動は慎んでくださいね、私たちアイドルですし……」
彼女の立場はマネージャーなんだから、何かあった時に責任を被るのは彼女ですよ。何も話していないのに、ミナはそう言って去っていった。
――え。
バレてんの?俺たち。付き合う時に「みなさんには内緒なら」と言った彼女の言葉が、頭に響いた気がした。
待ち合わせ場所に着いた時、え、大人っぽいですね、と言って彼女は目を丸くした。俺も改めてガラスに映った自分を見て、そうかも?と言って彼女と目を見合せて笑った。そう言う彼女も、いつもより少し露出が多くて、治安悪いっつか、スカートも短くて、スタッズをギラギラさせてる帽子は俺がプレゼントしたやつだけど……なんつーか……超可愛い。
「いやぁ……その。ミナがさ、色々見てくれを何とかしてくれてさ」
「棗さんが……?」
「あ!いや、ちが、友達と遊びに行くってちゃんと……」
……いや、あれは完全にバレてたな。深く言わず、無理やり会話を一旦切って、俺はそっと彼女の手を掴んで、手を合わせた。俺の手よりちょっと小さい手が、少し迷ったように、でもちゃんと繋ぎ返してくれて、安心する。
俺たちの仕事的にあんまり外でデートは出来ない、なんてのはわかってる。それでも時期は夏真っ盛り。暑くてダルい反面、外のイベントはどこだって大はしゃぎ。基本インドアのメンバーを無理やり誘ってあちこち行くのも楽しかったけど……「彼女」と遊びにだって行きたい。そう思って、俺は今日半日で仕事を終えた彼女をテーマパークに誘った。彼女は渋って渋って、頷いてくれた。
世間は夏休み一色。人が多い方が、俺は目立たないはずだし、目立っちまってもなんとかなるだろ、なんて楽観的に考えていた。彼女――紡は「何かあったら他人のフリしてください」「ピンチの時には私がŹOOĻのマネージャーってことにしてください」と口酸っぱく言っていた。わかったとは言ったが、本当は俺が彼女を守ってやりたい。そうなりゃやることは決まり。目立たずにデートを楽しむ!逆に言えば、目立たなければ楽しみ放題だ。
……って、ちょっと前まで思ってた。
「あ、あの!狗丸トウマさんですよね!?なんか……雰囲気違うけど!」
声をかけられるコンマ数秒前、何かを悟ったのかいつのまにか紡は手を離している。俺が「あ〜……」と言葉を考えているうちに、紡はそっと場を離れている。……早い。さすがあのアイドリッシュセブンを束ねるマネージャー……内心ぼろぼろ泣きながら、声をかけてくれた女の子たちに笑いかけた。
「ごめんな、今日オフだからさ……」
「あ!そうですよね、すみません……!」
「ああ、でも、その。いつも応援ありがとな!」
それじゃ、と手を振って、その場を後にする。スマホの通知でラビチャを確認した。テーマパークの隣の区間のカフェで待っている、と目印の写真と位置情報付きで紡から。こういうの、慣れてんだろうな。しかきさっき声を掛けられたせいか、周囲から視線を感じる。……俺もまた、「こういうの」に慣れている。だから、真っ直ぐは向かわない。
視線を感じなくなるまでそっと人混みに紛れて、誰も自分を見ていないことを確認してから目的地へ足を向けた。今度こそ、楽しいデートをしたくって。
ちゃんと、手、繋いでいたくって。
ラビッターに俺の目撃情報が上がったのはあっという間のことだった。見た感じ、さっき声をかけてくれた女の子たちでは無さそうだったけれど、どこにでも「ありがたいファン」とやらはいるもんだ。帰りましょうか、そう言って笑う紡に断る術も無く、俺たちはろくに回れないままテーマパークを去るしか無くなった。
夏の夕暮れはなんだか休み時間が終わる五分前って感じ。仕事で言うならライブが終わるまでの数曲前。楽しいのに、なんか寂しくて、でも「これが終わりじゃない」、そう思える不思議な感じ。俺は少し距離をとって歩く紡に、そっと手を差し出した。
「なあ、代わりにさ、ここ出るまで手繋いでてくんね」
「……でも」
「そ、その……大丈夫!だいぶ夕方になったし、目撃情報は一時間前だし!見えづらいし!だからさ……」
そんなこんな言いながらも、紡を納得させるには苦しい言い訳のような気もしたけど……紡は微妙な顔をしたまま、やがてその手を取ってくれた。今度こそもう離したくなくて、俺は優しく、けれどしっかりと紡の手を握る。
俺たちはテーマパークの入口からは少し離れたエリアにいた。出るまで手を繋ぐ。出たら、この手を離さなければならない。出口がもっと遠ければいいのになんて思いつつ、なんだかいつもよりゆっくり歩いてしまう。あれ興味ある?あれ乗ってみる?たまにそう声をかけつつも、狗丸さん、と紡に優しく制されて、その度に笑ってみせて、なんことないように振舞って。それでも。
もう少しだけ、こうやって。外で。手を繋いでおきたいのに。俺たちだって、付き合ってるよって。幸せだよって。みんなに見せつけて。俺の彼女、超可愛いよな!?んで、彼氏は俺なんだけどさ!って、思わせて。
いや……もっと純粋に、外でもっと、紡と触れ合いたいのに。ただ、それだけのことも、アイドルだから許されないのだろうか。自分が憧れたその先にあったものは、こんな……寂しいもんなのか。
「……あ」
紡が小さく声をあげたのはしばらく経ってからのことだった。足を止めた彼女の視線の先にあったのは、このテーマパークの名物の観覧車だ。夕方から夜にかけてライトアップが始まる。ちょうど、ライトが切り替わって、色とりどりに光っていた。下調べをした感じだと、カップルに一番人気なのはライトアップされた観覧車で、テーマパークを一望できる……確か十分くらいかかるとか、なんとか。
「……あのさ」
また断られてしまうだろうか、そんな弱気な自分がひょっこり顔を出すのを押し込めて、俺は観覧車を指さした。
「乗っていこうぜ。次、いつ一緒に来れるかわからねえんだから。せっかく……」
せっかく、一緒に来れたんだからさ。もう二度目があるかわからない、そんなことを考えながら、ようやく言い切ってみた。
紡はしばらくぽかんとしたような顔をして……やがて、困ったように微笑んで……はい、と頷いた。
無事に観覧車に乗ってから、俺たちはようやく安心して笑いあった。暗くて色合いがあまりよくわからなかったけれど、暗めの色のものに乗った。
「十分くらい回るんだってさ」
「じゅっぷん……?」
「すごくね?」
「た、高い……んでしょうか」
「そりゃ……乗る前に見ただろ」
「まあ、そう、ですね……」
「……。……高いとこ、無理なタイプ?」
「ああ、いえ!大丈夫です!」
あはは、と笑う紡はどう見てもやや怖がっていて、俺は笑いながらその手を握った。
「大丈夫だって、落ちる時は一緒だし?」
「それ、シャレにならないですよ……」
「ああ、いや。落ちない!落ちないから」
ふふ、笑いながら外を眺めた紡と一緒に、俺も窓の外を見下ろした。少しずつ離れていく地面。小さくなっていくテーマパーク。小さくなっていく、と感じていた感覚もやがて麻痺して、ジオラマみたいに思えてくる。ジオラマのライトショー。地面がふわふわして、落ち着かなくなって、たまにガタンと揺れる度に紡が俺の手を強く握った。
小鳥遊さん、付き合って下さい、そう言ったのはけっこう前のこと。そこから相手にされるまで更に時間がかかって、紡の仕事熱心なところをねじ曲げてまで、あれだけ拒んでいたアイドルとの恋愛をさせている。今日、外でデートしたいって言ったのも俺のわがまま。普段はもっと、隠れた場所で会っている。きっと楽しいから、俺がそう思っただけで外へ出て、結局今日は大変な日にしてしまったし、紡にばっか気を使わせた。
守ってやりたい、カッコイイとこ見せたい、そう思ってるのに、いつも守られてんのは俺ばっかだ。はしゃいでるのも俺ばっか。
「……なあ、後悔してる?」
ふと、小さく呟いた。ガラスに映った紡が、俺の方を見ていた。
「俺と付き合ったこと。アイドルと付き合ってしまったこと……」
紡の小さい手を、両手で包み込んだ。はい、って言われたら傷つくくせに、聞いてしまった。聞いてしまったら、答えを待つしかない。……聞いてしまったことを、後悔した。やがて、ガタンと揺れて、街中が小さな写真みたいになって。一番高いところに来たんだと知った。
「……狗丸さん……。……トウマさん!」
「……あ、ああ」
紡に名前を呼ばれて、窓の外から視線を移した。下の名前では呼べないかもしれない、間違えて人前で呼びそうだから、と付き合う時に言われていたから、少し驚いてしまって。彼女はぎゅっと俺の手を握り返して、そして、何か躊躇いを吹っ切ったように――。
時間が止まったように感じた。しばらく高さが変わらないその間、ゆっくりゆっくりとゴンドラが進む間……文字通り、紡と重なり合った。初めて感じた彼女の唇の柔らかさに、頭が真っ白になる。
いや。え?何。これ。そっと離れた紡が真っ赤になって、また時間が動き出す。少しずつ下降し始めた俺たちと一緒に。俺はそっと……さっきまで紡と触れていた自分の唇を、指でなぞった。途端、急に心臓がうるさいくらいに高鳴って、体中が熱くなって。
「私が決めたんです」
紡はそう言って、また手を握った。
「貴方といることを私が望んだんですよ。そりゃあ、最初に告白された時はズールの罰ゲームか何かだろうと思いましたけど……」
「思ったんだな……」
「でも、めげずに本気でアタックしてくれたじゃないですか。俺が幸せにしたいって!言ってくれたの嘘だったんですか」
「う、うう、嘘じゃない!俺がお前を幸せにしたいよ!俺が守りたいよ!……でも今日みたいなさ、俺、守られてばっかで……悔しいけどさ、立場的に、俺はアンタを守れないしさ……」
「……でも、楽しかったです」
「マジで?だって、俺は見つかるし、紡は気つかってさ……」
「……それでも、いぬ……トウマさん、オシャレしてきて下さったし……どきどき、しました。棗さん、さすがですね……」
「どきどき、したんだ」
「しました、ちょっと」
「……ちょっと、だけ?」
「……今の方が。どきどき、してますから……その……えっと……さっきのは、勢い、で……」
「……ああ、キス……」
……。お互いに顔を見られなくなって、俺たちは反対側のガラスを見ていた。十分間が非常に長く思えたのに、少しずつ大きく……現実的になっていく景色の大きさに、そんなに長い時間ではなかったんだと感じる。
「……私は……確かに……その……ものすごく、悩んだし……今も……悩まないかって言われたら嘘になりますけど……」
ぽつ、ぽつと、紡が言葉を零す。……あー。また。俺が不安になってしまったから。俺が不安なのを伝えてしまったから。安心させようとしてくれているんだ。
また、俺を守ろうとしてくれてる。守らせてしまってる。……かっこわりー。「御堂さんじゃないから心配」、ね。ミナの言う通りだわ、心の中でため息をついて。
観覧車のタイムリミットはもう少し。結局、ライティングをきちんと見ていなかったような気もするが。
「……なあ、紡」
「はい」
「……その。えーっと。……あー。」
ロマンチックなデートにしてやれなくて、ごめん!
そう言って、紡の腕を引いた。肩をそっと掴んで、背中を優しく引き寄せた。驚いた顔の紡が、すぐ側にいて。
そのまま、顔を近づけた。……観覧車の揺れでゴン!と勢いよく額をぶつけて、ごめん!って言いながら、そのまま近づいて。紡は真っ赤になって。なんかもう、どうにでもなれと思って、そんな紡の唇を奪った。
目を閉じて。紡の体をそっと俺の膝の上に乗せて。こわごわと、ぎこちないまま、紡もちゃんと俺に抱きついてくれてて。ちらっと目開けたら、紡も真っ赤で、近くて。慌てて目をつぶった。
お互いに恋愛経験は豊富じゃない。俺たちはとても不器用なキスをした。優しくくっつけて、離してみて、やっぱくっつけてみて。こういう時ってなんか……なんかあったよな!?って思いながら……いや、と思い直す。
……なんか、俺たちっぽくて、これでいいか、って。
何度かキスをしているうちに、ガタガタと下降して、二人で外を見た。もう、すぐ終わりが近づいてきていた。俺たちはあわてて離れて、二人で顔を見合せて……笑った。
お疲れ様でした、と案内してくれる係の人に従って俺は先に降りて……紡に手を差し出した。紡はその手を取ってくれる。そのまま、よっとゴンドラから彼女を下ろした。
紡は、とった俺の手に指を絡ませた。……そっと、俺も同じように、指を絡めた。テーマパークを出るまで、俺たちは誰に声をかけられることも無く、気づかれることも無く、二人でゆっくりと歩いていった。
二人で、静かに、ゆっくりと。……俺たちだけのペースで。
「昨日トウマ、遊園地いってたんでしょ!?ラビッターで写真撮られてたの見たけど……まさか一人で行ったわけ!?」
翌日、楽屋で、まさかハルに詰められるとは……と思いながら、ああ、と微妙な返事をした。
「お、俺らとか〜?連れてきゃよかったじゃん……そ、それとも別の人?なんか……前のメンバーとか……」
「あ〜っ、いやいや、そういうんじゃない。全然、そういうんじゃないからさ……」
「えーっ」
ちらちらとミナとトラを見てみたけど、どうやら助け舟はなさそうで。俺は大人しく、一人でテーマパークを歩いた上に見つかった間抜けなオフのアイドルとして話を合わせていた。そんな時、ノックの音がして、どうぞ、と声をかけたら顔を出したのは……紡だった。もちろん、今日はいつもの会社員スタイル。全体的にシャキッとしてて、やっぱデートの時とは別人に見える。
……まあ、でも、クールで可愛いんだな、これが。
「ズールさん、本日はよろしくお願いいたします!すみません、アイドリッシュセブンのメンバーが到着遅れていたので、先に私だけですけれど……!」
「ああ、よろしく……お願いします」
ふと紡を見ると、ばっちり視線がバッティングした。あ。やべえ。俺もそう思ったし、紡もそう思ったのかもしれない。多分俺たちは……一緒に真っ赤になった。だって。
昨日の――観覧車の中の出来事――が、俺たちの初めてのキスだったから。思い出す、感触も、熱も、感覚も。
「……あら、昨日はいい感じだったんですか?」
「やることやったのか?」
「やっ……!?バカトラ!キスしただけだって!」
「えっトウマさん!?……あ、い、いぬまるさん……」
「トウマ……さん?小鳥遊さんってトウマと名前で……え?何?き、きす……?きす?」
「あ、ちがっ、これは……ちがくて!」
「ああっ違うんです!違うんです〜!」
「なんだキス止まりか」
「嫌ですね御堂さん。貴方とはステップの高さが違うんですよ、狗丸さんからしたらお赤飯物です。炊いてきましょうか、私」
「だ〜っっっ!」
情報量の多さにとりあえず混乱してそうなハルと、やっぱり俺をうっかり名前で呼んでしまった紡と、親みたいな目でこっち見てるミナと、つまんなそうにもうスマホ見てるトラと、テンパってる俺。そのうちに楽屋にアイドリッシュセブンが来て、スパッと紡もミナもトラも態度リセットしてくれて、空気はいつも通りになって。
ハルだけが狐に摘まれたような、何かに気づきそうで気づかなさそうな顔をしたまま、その日の収録が始まった。
収録の休憩時間、ケータリングを配る紡を手伝った。配り終えて、片付けを終えて。和やかな雰囲気でみんながだべってる部屋の中へ戻ろうとした俺の手を……するっと、紡の指が撫でた。どきっとして顔を見ると、少し照れながら……紡は扉の影で、そっと手を差し出す。俺も……やや周りを気にしながら、その手に自分の手を重ねた。する、するり、自然とお互いに指を絡めて。ぎゅっとして、それから……名残惜しさを残したまま、離れていく。思わず、堪らなく触れたくなってしまう。
「……あ、のさ、今夜……とか……会えない?」
勢いでそっと囁くと、紡はさっき絡ませていた手を反対の手で撫でながら、首を横に振る。やべ、やっちまった、がっついてるって思われたか!?焦って何か言い訳をしようとした俺に、紡がそっと囁く。
「まだ……どきどきしてるんです、昨日のこと……。だから……また、二人で……会う勇気が……出来てからで……。……すみません……」
「……え」
なあ、それってどういう意味?聞こうとした俺をかわして、部屋の中に元通り元気なマネージャーが戻っていく。俺もまた、さっき重ねた手を反対の手で撫でながら、昨日よりも高鳴る鼓動を持て余していた。
俺たちのペースは、きっと周りよりもずっとゆっくりで、けれど確かに進んでいる。
畳む 123日前(金 23:38:48) SS
「狗丸さん、そのまま行く気ですか」
お先に、と部屋を出てきた俺を追いかけて腕を掴んだミナが、怪訝そうな顔で耳打ちした。何が?と首を傾げてみると、呆れたように首を振る。
「私が思うに、年頃の女性はもっとロマンチックなデートをご希望かと。雰囲気くらい整えていったらいかがです」
「えっ!?今日の俺なんか変!?……じゃなくて、で、デートってなんだよ!そんなわけないだろ、トラじゃあるまいし」
「逆に御堂さんじゃないから心配なんですよ……」
「いや、だからその。ちょっと友達と遊びに行くだけ……でぇ……」
「そのお友達も、今日はお友達と遊びに行くって張り切ってましたけれど」
「えっ」
まったく、危なっかしいお二人ですね、とため息をつくミナに連れられて、別室で髪をとかされて、少しワックスで整えられた。最近は専らストレートに仕上げることが多かったから、少し束を作るだけで印象が変わる。それから少しだけ目元にメイクされて、ああ、誰だこれ?俺っぽくない。戸惑っているうちに、「俺」が仕上がった。
「それじゃあ、お友達によろしく」
「あ、いや、あの、ミナ、えっと、いや、俺は」
「亥清さんは気づいてないと思いますけど、御堂さんはわかってると思いますよ、ご参考までに。けれどあまり派手な行動は慎んでくださいね、私たちアイドルですし……」
彼女の立場はマネージャーなんだから、何かあった時に責任を被るのは彼女ですよ。何も話していないのに、ミナはそう言って去っていった。
――え。
バレてんの?俺たち。付き合う時に「みなさんには内緒なら」と言った彼女の言葉が、頭に響いた気がした。
待ち合わせ場所に着いた時、え、大人っぽいですね、と言って彼女は目を丸くした。俺も改めてガラスに映った自分を見て、そうかも?と言って彼女と目を見合せて笑った。そう言う彼女も、いつもより少し露出が多くて、治安悪いっつか、スカートも短くて、スタッズをギラギラさせてる帽子は俺がプレゼントしたやつだけど……なんつーか……超可愛い。
「いやぁ……その。ミナがさ、色々見てくれを何とかしてくれてさ」
「棗さんが……?」
「あ!いや、ちが、友達と遊びに行くってちゃんと……」
……いや、あれは完全にバレてたな。深く言わず、無理やり会話を一旦切って、俺はそっと彼女の手を掴んで、手を合わせた。俺の手よりちょっと小さい手が、少し迷ったように、でもちゃんと繋ぎ返してくれて、安心する。
俺たちの仕事的にあんまり外でデートは出来ない、なんてのはわかってる。それでも時期は夏真っ盛り。暑くてダルい反面、外のイベントはどこだって大はしゃぎ。基本インドアのメンバーを無理やり誘ってあちこち行くのも楽しかったけど……「彼女」と遊びにだって行きたい。そう思って、俺は今日半日で仕事を終えた彼女をテーマパークに誘った。彼女は渋って渋って、頷いてくれた。
世間は夏休み一色。人が多い方が、俺は目立たないはずだし、目立っちまってもなんとかなるだろ、なんて楽観的に考えていた。彼女――紡は「何かあったら他人のフリしてください」「ピンチの時には私がŹOOĻのマネージャーってことにしてください」と口酸っぱく言っていた。わかったとは言ったが、本当は俺が彼女を守ってやりたい。そうなりゃやることは決まり。目立たずにデートを楽しむ!逆に言えば、目立たなければ楽しみ放題だ。
……って、ちょっと前まで思ってた。
「あ、あの!狗丸トウマさんですよね!?なんか……雰囲気違うけど!」
声をかけられるコンマ数秒前、何かを悟ったのかいつのまにか紡は手を離している。俺が「あ〜……」と言葉を考えているうちに、紡はそっと場を離れている。……早い。さすがあのアイドリッシュセブンを束ねるマネージャー……内心ぼろぼろ泣きながら、声をかけてくれた女の子たちに笑いかけた。
「ごめんな、今日オフだからさ……」
「あ!そうですよね、すみません……!」
「ああ、でも、その。いつも応援ありがとな!」
それじゃ、と手を振って、その場を後にする。スマホの通知でラビチャを確認した。テーマパークの隣の区間のカフェで待っている、と目印の写真と位置情報付きで紡から。こういうの、慣れてんだろうな。しかきさっき声を掛けられたせいか、周囲から視線を感じる。……俺もまた、「こういうの」に慣れている。だから、真っ直ぐは向かわない。
視線を感じなくなるまでそっと人混みに紛れて、誰も自分を見ていないことを確認してから目的地へ足を向けた。今度こそ、楽しいデートをしたくって。
ちゃんと、手、繋いでいたくって。
ラビッターに俺の目撃情報が上がったのはあっという間のことだった。見た感じ、さっき声をかけてくれた女の子たちでは無さそうだったけれど、どこにでも「ありがたいファン」とやらはいるもんだ。帰りましょうか、そう言って笑う紡に断る術も無く、俺たちはろくに回れないままテーマパークを去るしか無くなった。
夏の夕暮れはなんだか休み時間が終わる五分前って感じ。仕事で言うならライブが終わるまでの数曲前。楽しいのに、なんか寂しくて、でも「これが終わりじゃない」、そう思える不思議な感じ。俺は少し距離をとって歩く紡に、そっと手を差し出した。
「なあ、代わりにさ、ここ出るまで手繋いでてくんね」
「……でも」
「そ、その……大丈夫!だいぶ夕方になったし、目撃情報は一時間前だし!見えづらいし!だからさ……」
そんなこんな言いながらも、紡を納得させるには苦しい言い訳のような気もしたけど……紡は微妙な顔をしたまま、やがてその手を取ってくれた。今度こそもう離したくなくて、俺は優しく、けれどしっかりと紡の手を握る。
俺たちはテーマパークの入口からは少し離れたエリアにいた。出るまで手を繋ぐ。出たら、この手を離さなければならない。出口がもっと遠ければいいのになんて思いつつ、なんだかいつもよりゆっくり歩いてしまう。あれ興味ある?あれ乗ってみる?たまにそう声をかけつつも、狗丸さん、と紡に優しく制されて、その度に笑ってみせて、なんことないように振舞って。それでも。
もう少しだけ、こうやって。外で。手を繋いでおきたいのに。俺たちだって、付き合ってるよって。幸せだよって。みんなに見せつけて。俺の彼女、超可愛いよな!?んで、彼氏は俺なんだけどさ!って、思わせて。
いや……もっと純粋に、外でもっと、紡と触れ合いたいのに。ただ、それだけのことも、アイドルだから許されないのだろうか。自分が憧れたその先にあったものは、こんな……寂しいもんなのか。
「……あ」
紡が小さく声をあげたのはしばらく経ってからのことだった。足を止めた彼女の視線の先にあったのは、このテーマパークの名物の観覧車だ。夕方から夜にかけてライトアップが始まる。ちょうど、ライトが切り替わって、色とりどりに光っていた。下調べをした感じだと、カップルに一番人気なのはライトアップされた観覧車で、テーマパークを一望できる……確か十分くらいかかるとか、なんとか。
「……あのさ」
また断られてしまうだろうか、そんな弱気な自分がひょっこり顔を出すのを押し込めて、俺は観覧車を指さした。
「乗っていこうぜ。次、いつ一緒に来れるかわからねえんだから。せっかく……」
せっかく、一緒に来れたんだからさ。もう二度目があるかわからない、そんなことを考えながら、ようやく言い切ってみた。
紡はしばらくぽかんとしたような顔をして……やがて、困ったように微笑んで……はい、と頷いた。
無事に観覧車に乗ってから、俺たちはようやく安心して笑いあった。暗くて色合いがあまりよくわからなかったけれど、暗めの色のものに乗った。
「十分くらい回るんだってさ」
「じゅっぷん……?」
「すごくね?」
「た、高い……んでしょうか」
「そりゃ……乗る前に見ただろ」
「まあ、そう、ですね……」
「……。……高いとこ、無理なタイプ?」
「ああ、いえ!大丈夫です!」
あはは、と笑う紡はどう見てもやや怖がっていて、俺は笑いながらその手を握った。
「大丈夫だって、落ちる時は一緒だし?」
「それ、シャレにならないですよ……」
「ああ、いや。落ちない!落ちないから」
ふふ、笑いながら外を眺めた紡と一緒に、俺も窓の外を見下ろした。少しずつ離れていく地面。小さくなっていくテーマパーク。小さくなっていく、と感じていた感覚もやがて麻痺して、ジオラマみたいに思えてくる。ジオラマのライトショー。地面がふわふわして、落ち着かなくなって、たまにガタンと揺れる度に紡が俺の手を強く握った。
小鳥遊さん、付き合って下さい、そう言ったのはけっこう前のこと。そこから相手にされるまで更に時間がかかって、紡の仕事熱心なところをねじ曲げてまで、あれだけ拒んでいたアイドルとの恋愛をさせている。今日、外でデートしたいって言ったのも俺のわがまま。普段はもっと、隠れた場所で会っている。きっと楽しいから、俺がそう思っただけで外へ出て、結局今日は大変な日にしてしまったし、紡にばっか気を使わせた。
守ってやりたい、カッコイイとこ見せたい、そう思ってるのに、いつも守られてんのは俺ばっかだ。はしゃいでるのも俺ばっか。
「……なあ、後悔してる?」
ふと、小さく呟いた。ガラスに映った紡が、俺の方を見ていた。
「俺と付き合ったこと。アイドルと付き合ってしまったこと……」
紡の小さい手を、両手で包み込んだ。はい、って言われたら傷つくくせに、聞いてしまった。聞いてしまったら、答えを待つしかない。……聞いてしまったことを、後悔した。やがて、ガタンと揺れて、街中が小さな写真みたいになって。一番高いところに来たんだと知った。
「……狗丸さん……。……トウマさん!」
「……あ、ああ」
紡に名前を呼ばれて、窓の外から視線を移した。下の名前では呼べないかもしれない、間違えて人前で呼びそうだから、と付き合う時に言われていたから、少し驚いてしまって。彼女はぎゅっと俺の手を握り返して、そして、何か躊躇いを吹っ切ったように――。
時間が止まったように感じた。しばらく高さが変わらないその間、ゆっくりゆっくりとゴンドラが進む間……文字通り、紡と重なり合った。初めて感じた彼女の唇の柔らかさに、頭が真っ白になる。
いや。え?何。これ。そっと離れた紡が真っ赤になって、また時間が動き出す。少しずつ下降し始めた俺たちと一緒に。俺はそっと……さっきまで紡と触れていた自分の唇を、指でなぞった。途端、急に心臓がうるさいくらいに高鳴って、体中が熱くなって。
「私が決めたんです」
紡はそう言って、また手を握った。
「貴方といることを私が望んだんですよ。そりゃあ、最初に告白された時はズールの罰ゲームか何かだろうと思いましたけど……」
「思ったんだな……」
「でも、めげずに本気でアタックしてくれたじゃないですか。俺が幸せにしたいって!言ってくれたの嘘だったんですか」
「う、うう、嘘じゃない!俺がお前を幸せにしたいよ!俺が守りたいよ!……でも今日みたいなさ、俺、守られてばっかで……悔しいけどさ、立場的に、俺はアンタを守れないしさ……」
「……でも、楽しかったです」
「マジで?だって、俺は見つかるし、紡は気つかってさ……」
「……それでも、いぬ……トウマさん、オシャレしてきて下さったし……どきどき、しました。棗さん、さすがですね……」
「どきどき、したんだ」
「しました、ちょっと」
「……ちょっと、だけ?」
「……今の方が。どきどき、してますから……その……えっと……さっきのは、勢い、で……」
「……ああ、キス……」
……。お互いに顔を見られなくなって、俺たちは反対側のガラスを見ていた。十分間が非常に長く思えたのに、少しずつ大きく……現実的になっていく景色の大きさに、そんなに長い時間ではなかったんだと感じる。
「……私は……確かに……その……ものすごく、悩んだし……今も……悩まないかって言われたら嘘になりますけど……」
ぽつ、ぽつと、紡が言葉を零す。……あー。また。俺が不安になってしまったから。俺が不安なのを伝えてしまったから。安心させようとしてくれているんだ。
また、俺を守ろうとしてくれてる。守らせてしまってる。……かっこわりー。「御堂さんじゃないから心配」、ね。ミナの言う通りだわ、心の中でため息をついて。
観覧車のタイムリミットはもう少し。結局、ライティングをきちんと見ていなかったような気もするが。
「……なあ、紡」
「はい」
「……その。えーっと。……あー。」
ロマンチックなデートにしてやれなくて、ごめん!
そう言って、紡の腕を引いた。肩をそっと掴んで、背中を優しく引き寄せた。驚いた顔の紡が、すぐ側にいて。
そのまま、顔を近づけた。……観覧車の揺れでゴン!と勢いよく額をぶつけて、ごめん!って言いながら、そのまま近づいて。紡は真っ赤になって。なんかもう、どうにでもなれと思って、そんな紡の唇を奪った。
目を閉じて。紡の体をそっと俺の膝の上に乗せて。こわごわと、ぎこちないまま、紡もちゃんと俺に抱きついてくれてて。ちらっと目開けたら、紡も真っ赤で、近くて。慌てて目をつぶった。
お互いに恋愛経験は豊富じゃない。俺たちはとても不器用なキスをした。優しくくっつけて、離してみて、やっぱくっつけてみて。こういう時ってなんか……なんかあったよな!?って思いながら……いや、と思い直す。
……なんか、俺たちっぽくて、これでいいか、って。
何度かキスをしているうちに、ガタガタと下降して、二人で外を見た。もう、すぐ終わりが近づいてきていた。俺たちはあわてて離れて、二人で顔を見合せて……笑った。
お疲れ様でした、と案内してくれる係の人に従って俺は先に降りて……紡に手を差し出した。紡はその手を取ってくれる。そのまま、よっとゴンドラから彼女を下ろした。
紡は、とった俺の手に指を絡ませた。……そっと、俺も同じように、指を絡めた。テーマパークを出るまで、俺たちは誰に声をかけられることも無く、気づかれることも無く、二人でゆっくりと歩いていった。
二人で、静かに、ゆっくりと。……俺たちだけのペースで。
「昨日トウマ、遊園地いってたんでしょ!?ラビッターで写真撮られてたの見たけど……まさか一人で行ったわけ!?」
翌日、楽屋で、まさかハルに詰められるとは……と思いながら、ああ、と微妙な返事をした。
「お、俺らとか〜?連れてきゃよかったじゃん……そ、それとも別の人?なんか……前のメンバーとか……」
「あ〜っ、いやいや、そういうんじゃない。全然、そういうんじゃないからさ……」
「えーっ」
ちらちらとミナとトラを見てみたけど、どうやら助け舟はなさそうで。俺は大人しく、一人でテーマパークを歩いた上に見つかった間抜けなオフのアイドルとして話を合わせていた。そんな時、ノックの音がして、どうぞ、と声をかけたら顔を出したのは……紡だった。もちろん、今日はいつもの会社員スタイル。全体的にシャキッとしてて、やっぱデートの時とは別人に見える。
……まあ、でも、クールで可愛いんだな、これが。
「ズールさん、本日はよろしくお願いいたします!すみません、アイドリッシュセブンのメンバーが到着遅れていたので、先に私だけですけれど……!」
「ああ、よろしく……お願いします」
ふと紡を見ると、ばっちり視線がバッティングした。あ。やべえ。俺もそう思ったし、紡もそう思ったのかもしれない。多分俺たちは……一緒に真っ赤になった。だって。
昨日の――観覧車の中の出来事――が、俺たちの初めてのキスだったから。思い出す、感触も、熱も、感覚も。
「……あら、昨日はいい感じだったんですか?」
「やることやったのか?」
「やっ……!?バカトラ!キスしただけだって!」
「えっトウマさん!?……あ、い、いぬまるさん……」
「トウマ……さん?小鳥遊さんってトウマと名前で……え?何?き、きす……?きす?」
「あ、ちがっ、これは……ちがくて!」
「ああっ違うんです!違うんです〜!」
「なんだキス止まりか」
「嫌ですね御堂さん。貴方とはステップの高さが違うんですよ、狗丸さんからしたらお赤飯物です。炊いてきましょうか、私」
「だ〜っっっ!」
情報量の多さにとりあえず混乱してそうなハルと、やっぱり俺をうっかり名前で呼んでしまった紡と、親みたいな目でこっち見てるミナと、つまんなそうにもうスマホ見てるトラと、テンパってる俺。そのうちに楽屋にアイドリッシュセブンが来て、スパッと紡もミナもトラも態度リセットしてくれて、空気はいつも通りになって。
ハルだけが狐に摘まれたような、何かに気づきそうで気づかなさそうな顔をしたまま、その日の収録が始まった。
収録の休憩時間、ケータリングを配る紡を手伝った。配り終えて、片付けを終えて。和やかな雰囲気でみんながだべってる部屋の中へ戻ろうとした俺の手を……するっと、紡の指が撫でた。どきっとして顔を見ると、少し照れながら……紡は扉の影で、そっと手を差し出す。俺も……やや周りを気にしながら、その手に自分の手を重ねた。する、するり、自然とお互いに指を絡めて。ぎゅっとして、それから……名残惜しさを残したまま、離れていく。思わず、堪らなく触れたくなってしまう。
「……あ、のさ、今夜……とか……会えない?」
勢いでそっと囁くと、紡はさっき絡ませていた手を反対の手で撫でながら、首を横に振る。やべ、やっちまった、がっついてるって思われたか!?焦って何か言い訳をしようとした俺に、紡がそっと囁く。
「まだ……どきどきしてるんです、昨日のこと……。だから……また、二人で……会う勇気が……出来てからで……。……すみません……」
「……え」
なあ、それってどういう意味?聞こうとした俺をかわして、部屋の中に元通り元気なマネージャーが戻っていく。俺もまた、さっき重ねた手を反対の手で撫でながら、昨日よりも高鳴る鼓動を持て余していた。
俺たちのペースは、きっと周りよりもずっとゆっくりで、けれど確かに進んでいる。
畳む 123日前(金 23:38:48) SS