No.3777, No.3776, No.3775, No.3774, No.3773, No.3772, No.3771[7件]
リュウ
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みなつむSS
「紡!」
病院の廊下を勢いよく走っていく滑車を、巳波は追いかけながらも、集中治療室で遮られ、その扉にべったりと体をくっつけ、苦しそうな声をあげていた。
遺伝の可能性がある。早くに亡くなることもあるかもしれない。――お義父さんから結婚前に言われたことだった。覚悟はしていた。それでも。それでも。
両脇に抱えた、まだ自立できない子供たちを抱きしめた。巳波と紡の間に産まれた、ふたつの命。双子の愛する子供たち。
「……早すぎ、ですよ……こんなんじゃ……あんまりだ……」
かすれた声と共に、巳波は膝から崩れ落ちていく。
集中治療室のランプは、赤いままだった。
★
ハッとした時、紡はいつも通り小鳥遊プロダクションにいた。いつも通りスーツ姿で、髪をしっかりとまとめ、自分が整理している書類は……数年前、アイドリッシュセブンが行っていた仕事だ。懐かしい、と思いながら、しかし……日付を見て、言葉を失う。
(……時間が……戻って、る……?)
どこの日付を確認してもそうだった。「あの時」のまま。言葉を失う。そんな紡に、声をかけたのは万理だった。
「紡さん、どうしました?」
「……あ、あの、万理さん。つかぬことをお伺いしますが……。……私って、小鳥遊紡……です、か?」
「え?は、はい……?」
「……子供とかって……いません、よね?」
「え!?子供、いらっしゃるんですか!?だ、誰と……」
「ああいえ!いません!あは、あ、あはは!」
愛想笑いをしながら、スケジュール帳を見て、それでは、と別れを告げる。プロダクションを出て、アイドリッシュセブンのみんなと一日を共にする。
(……今まで……)
ぼんやりと、思い出す。そう、私は……棗巳波と結婚して、棗紡になって。子供も二人いて。けれど……当初考えたように、時間が戻るなんてありえることでもない。だから。
(……今までのことが、夢だったんだ……)
ものすごく長い夢を見ていた。
ただ、それだけだったんだ。
……きゅ、と、紡の胸の奥が痺れていく。
「ŹOOĻさん、今日はよろしくお願いします。あ、悠さん、メイク変えたんですね!巳波さんも、新しい衣装とても似合ってて……」
いつも通り挨拶をかわそうとして、そう呼んだ時、亥清悠も棗巳波も怪訝そうな顔をした。そうだ。あれは、夢だったんだ。私たちは……名前で呼ぶような仲ではなかった。あの日、あの時、突然巳波が接触してくるまで、紡はŹOOĻのメンバーを名前で呼ぶことは無かった。だから。
「……あ、その!すみません、昨日……番組見てたら、呼び方がうつっちゃって!」
「あー……そう?」
「そう、ですか?」
「すみません、失礼いたしました。それでは、また後ほど……」
そんな巳波の反応を見て、紡は確信した。
夢、だったのだと。
でも、まあ、そうか、とも思う。自分は他社のタレントと付き合わないと決めていたし、あんなに魅力的なタレントが自分のようないちマネージャーに惚れ込んでくれるのだって、夢みたいな話で。
夢であったほうが、しっくり来てしまう話で。
(……そっか)
夢の中での感覚は、いまも生々しく紡の心に、体に残っている。なんども重ねた唇も、なんども重ねた体も、子供も。恥ずかしい。すべて、嘘だったのに。
(……私って、深層心理で棗さんのこと、好きだったのかなぁ)
巳波さん、そう口が覚えている。これも……長い夢を、見ていたせいなのだろう……。
それから数日が経った。やっとŹOOĻに対して親し過ぎない距離を思い出したし、うまく付き合えていると思っている。仕事も、なんだかやったことがあるようなものもあれば、違うものもある。忙しいけれど、紡はこの忙しさが嫌いではなかった。
紡はこの局で、見晴らしがよく人がいない……裏を返せば使いづらいこの休憩所が好きだった。自動販売機でコーヒーを買って、景色を見ながら一息つく。秘密の休憩所。と。
「……お隣、よろしいですか?」
「……!み……棗さん!ええ、どうぞ!」
「では失礼します」
棗巳波は一人だった。紡はほんのり緊張しつつ、長い夢のことを思い出しては思考から消した。勝手にこの人との存在しない未来を紡いでいた。それが恐ろしかった。しかし……紡だって巳波を愛してしまっている。だから、その横顔も……やや振り返った顔も、仕草も、服装や体つきも。……そっと、手を伸ばして触れたくなる。そんなふうに思えて、違う、やってはいけないのだ、と心を押さえ込んだ。
「ŹOOĻさん、いま休憩なんですか?」
「いえ、今日は私、撮影のお仕事で。だからひとりですよ。ここ、いいですよね、休憩所、静かで」
「あはは、私も好きなんです。わかります」
「ふふ」
巳波は笑いながら、そっと右側の髪を耳にかけた。紡だけでなく、ファンも知っている。彼の癖だった。細長く白い指が、色素の薄い髪を梳くその仕草は、人気の一因にもなっている。しばし見惚れながら、慌ててコーヒーをあおった。ホットだったのを忘れて、飲み込めずに苦しんでから、ようやく飲み込むと、隣の巳波はクスクスと笑う。
「大丈夫ですか。慌てて飲まない方がいいと思いますよ」
「す、すみません……!」
「火傷しますよ」
「そ、そうですよね」
「……それでは私はアイスコーヒーを飲み干したので。仕事に戻ります、また現場が同じ時はよろしくお願いしますね、小鳥遊さん」
「あっ……はい!み……。棗さんも、撮影頑張ってください!次のドラマも、楽しみにしてますから!」
巳波は一瞬紡に対して目を丸くしてから、いつものように読めない笑顔で別れを告げて去っていく。歩いていく。離れていく巳波の後ろ姿を見ながら、紡は自分の気持ちを持て余していた。
(……早く、忘れなきゃいけないのにな)
夢、なんて。体のどこかがぎゅっと傷んだ。
長い夢の中で、巳波と紡の運命が交差したのも突然の事だったな、と紡は思った。仕事が少ない日はいけない、余計なことを考えてしまう。元から紡は仕事人間だ。高卒で父のプロダクションへ入社し、七瀬陸やアイドリッシュセブンのメンバーを応援すること。ひいては彼らを売ること。それだけを考えて、ここにいた。そんなある日、巳波が紡に声をかけたのだ。
――小鳥遊さん、マネージャーやメンバーに言えない悩みがあって。聞いて欲しいんですけど。
そう言われたら、紡は断れない。今思えば、夢の中の巳波はそれを知っていたのかもしれない。アイドルを応援することが、紡の生きがいだから。そんな彼らが悩んでいるのなら、いくらだって身を切り売りする。
だからこそ、付き合ってくれ、と言われた時には紡は……嫌悪感すら覚えたのだ。
『それは、どこへお付き合いすればよろしいんでしょう』
『いえ。恋人として、お付き合いがしたいという意味ですよ』
『……他社のタレントさんとそのような関係にはなれません。すみません』
『ああ、待ってください。……この業界、タブーとはされてますけど他社のタレントとどこかの事務員やマネージャーが恋愛関係を持つのは珍しい事じゃありませんよ。そんな理由で私を振らないで』
『すみませんが……』
『待って。タレントの棗巳波ではなく、私を……棗巳波という一人の男として、見て、考えて下さい、お返事はいつだって構いません』
『お断りいたします。私たちは連絡先も知らないじゃないですか……すみません、お話がそれだけなら、失礼します』
『……ああ、小鳥遊さ――』
あの天才子役、芸能界でも新人よりもベテラン寄りの棗巳波ですら、誰か女性を求める。それは、紡にとって少しショックな話でもあった。悩みがあると呼び出されて、告白されたことに裏切られた気持ちもあった。……紡は俳優・棗巳波のファンのひとりでもあったからだ。
自分は秀でて容姿がいいわけでもないし、なにか能力があるわけでもない。タレントが自分を好むのだって、ちょうどいい遊び相手なのだろう。紡はずっと、そう思っていた。それからは巳波にはそれまで以上に近寄らなくなった。少し距離を置けば、きっとわかってくれる。そう思って。
けれど、夢の中の巳波はそうではなかった。それを機に、柔らかく話しかけてくる回数が増えた。邪険にするほどでもないが、デートに誘われることすらあった。全て断った最後に、巳波は名刺を渡してきた。
『名刺なら、もう持ってますけど……』
『……裏、私のラビチャIDが載ってますから』
少し紡に顔を近づけ、こっそりそう言う巳波は、ミステリアスで大人っぽい雰囲気ではなく、イタズラを考えている子供のようだった。それなら頂けない、と断る紡に無理やり押し付けて、巳波は去っていった。
結局その数日後、紡は現場が混乱した際に宇津木と連絡がうまく取れず、悩んだ末に巳波のIDに連絡をした。
『すみません、宇津木さんと連絡が取れなくて。ただいま現場が混乱していまして……』
『ご連絡、ありがとうございます。そうみたいですね。ŹOOĻ、出番早まりました?』
『はい、Aスタジオで5分後に、と言われたんですが』
『大丈夫です、揃っていますので向かいます』
『ありがとうございます』
初めてのラビチャも、そんな簡素な業務連絡だったのだ。
★
「ぱーぱ?」
「……はい、パパですよ」
「まーま……」
「……ママは……いま、眠いんだって……」
「まーま……」
「はやく……起きてくれたら、いいのにね……」
双子のうち、妹は元気がよく、発話も早かった。パパ、ママ、は理解して使っているようだった。兄の方は発話は妹ほど進んでいないが、眠ったり起きたりするたび、母親を見つめている気がする。
今夜が山ですね。医者はそう言った。心電図の音が無機質に響く部屋。点滴に、吸入器に、様々な機械が……彼女の、妻の体を覆っている。
彼女は愛されている。だから、色んな人が病室までかけつけてくれたらしいのだが、家族ですら無理やり入れてもらっただけだった。誰も会わせることは出来ないと言われた。それを押し切って妻に会わせてもらっている。
「……紡……」
名前を呼んでも、彼女の目が開くことは無い。苦しそうにする彼女に出来ることは……そっと、手を握ることだけだった。しかし、その手が握り返してくれることは無い。
彼女の左手を、そっと両手で包み込んだ。その薬指には、自分がはめた結婚指輪がしっかりと存在している。
「……紡、行かないで。帰ってきて……どうか……」
私を置いていかないで……。
巳波の悲痛な声も虚しく、心電図の音は、次第にゆっくりと響いていった。
★
毎日をもっと忙しくして、余計なことを考えるのをやめよう。紡はそう思い、仕事を増やしてもらってすらいた。今までよりもっと現場に出て、今までよりも事務仕事をした。変な夢など、早く忘れてしまおう。……棗巳波に、迷惑だ。他社のタレントに迷惑をかけてはいけない――。
「……紡さん、大丈夫ですか?そんなに忙しくして」
「あはは、大丈夫ですよ」
心配そうにする万理やアイドリッシュセブンの彼らを受け流し、本当は少しキツイくらいで毎日を回した。体も心もキツかった。けれど、それでいいと思った。
何もしていない時間に、長かった夢のことを考えてしまう自分が嫌だったのだ。その分、どんどん仕事にのめり込んでいった。
(今日は……共演はŹOOĻ……)
スケジュールを見て、気を引きしめる。ŹOOĻとは特に注意して、それなりの距離を保たねばならない。……夢の中で随分と、親しくしてしまったから。
楽屋に挨拶をする時も、できるだけ儀礼的に済ませた。そのあとマネージャー同士で挨拶して、そそくさと去った。
変なところはなかっただろうか、そんな不安を抱えつつ、次の仕事の準備にかかる。提出しなければならないものも、作成して。目が回るような……いや、目を回すための仕事を必死にこなしていく。アイドリッシュセブンの出番の直前には袖に一緒についていた。ちょうど……アイドリッシュセブンの前は、ŹOOĻだったようだった。
ふと顔を上げた時、軽々とパフォーマーの二人が側転をして、紡は目を奪われた。やはり、美しい。ŹOOĻは全てがハイパフォーマンスで。綺麗で。
……棗巳波は、とても……美しい。
出番を終えたŹOOĻが戻ってくる。アイドリッシュセブンが入れ替わる。メンバーを見送る。歩いてくるŹOOĻが、自分の隣を通った。自然と目が追う。汗だくの彼らは、いつかの険悪な雰囲気ではなく、お互いを信頼したリラックスした雰囲気で、笑いあっている。……微笑ましい気持ちで見つめていると、ふと、棗巳波と目が合った。こちらを、訝しんでいるのだろうか。
しまった。
紡は急いで目をそらす。
これでは……まるで、紡が巳波に惚れているかのようじゃないか。
仕事。仕事。仕事仕事仕事仕事仕事。
仕事で流し込んでしまおう、こんな想いも、気持ちも、夢も、全てを……。
詰めに詰めた紡の仕事が一段落したのは、数日後の日付も変わった頃だった。アイドリッシュセブンを全員家に帰し、紡は局の人のいない休憩所で、倒れるように座り込んだ。
「……疲れたな……」
そのおかげで、余計なことは考えなくなっていった。あの夢のことも、少しずつ忘れていっている。これでいいんだ。そのまま、睡魔が襲ってくる。
こんなところで寝てはいけない。そう思いながらも、体はそのまま沈んでいった。
「……あれ……」
目を覚ました時、時計を見て一時間ほど眠っていたのだとわかった。起き上がろうとした時、する、と何かが自分の背から落ちた。……上着だ。落ち着いた色のコートには、見覚えがある。そっと拾うと、隣に誰かいることに気がついて……自分を覗き込んでいる人物に気がついた。
「……み……棗、さん」
「おはようございます、小鳥遊さん。起こしたんですけど、全然起きなかったので。疲れているのではないですか。最近、忙しくしていたように見えましたが」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
まさか、貴方のことを忘れたくて頑張っていた、とも言えない。忘れるも何も、現実では紡と巳波の間には何も無い。紡は眠っていたことを知られた恥ずかしさも相まって、とりあえずコートを綺麗に畳んで、巳波に差し出した。そんな様子を見て、巳波はまた笑う。
「……あの、小鳥遊さん」
「あ、はい、なんでしょう」
「……帰るべき所へ、帰るべきなのではないかと思いますよ、私は……」
「……?なんの、話……」
巳波は紡に渡されたコートを手で撫でながら、紡をじっと見つめた。
「数日前、突然貴方は私と亥清さんを名前で呼んだ。それまで少し距離のあった私たちと、ある日突然、まるで……そうですね、バグを起こしたかのように近づいて。けれど、今度は慌てて離れて……」
「あ、あは、は……すみません!たまたまŹOOĻのみなさんの活動を勉強していたら、気持ちが近くなってしまって」
「貴方は仕事に対してプロフェッショナルです。そんな言い訳、信じられませんよ」
紡は巳波の顔を盗み見た。なんとも言えない。それは、何も感じさせないように、こちらに悟らせないようにとする時の巳波の表情そのものだった。
「……ねえ、小鳥遊さん……」
巳凪と巳麦という名前、聞き覚え、ありませんか。
巳波が言った。紡はしばらく、言葉を発せなかった。
それは……紡と巳波の、あの夢の中で出来た、双子の子供の名前だったから。
「……な、なんで……なんで、それを、棗さんが」
その名前を。
そう言った紡の顔を見て、ふ、と巳波が笑う。そう思ったあと、紡は……いや、と思いなおす。
この人は……。本当によく似ているが、この人は……棗巳波では……ない。姿形は、棗巳波だけれど……。そう思った通り、巳波であることをやめたかのように、口調を崩して笑う。
「……ねえ。そろそろ、起きて。……パパが、ずっと泣いてる」
「……貴方……は……」
紡。
名前を呼ばれた気がした。途端、世界が次々歪に壊れていく。
紡……。
まるで壊れた画像データのように、一部ずつ、世界の景色が崩れていく。
「……さあ」
巳波の姿をした、彼が手を差し出した。
「帰ろう、ママ。ここは……ママが居るべき世界じゃないよ。元の世界に、帰ろう……」
★
心電図が高い音を鳴り響かせた後、何も巳波の頭に言葉は入らなかった。医師は彼女の体を確認していく。……死んでいることを、証明するために。
娘は泣いていた。息子は眠っていた。……巳波もまた、泣いていた。
そんな巳波が病室を出ていこうとしたその時……心電図の音が……少し、変わった。はっとして、振り向く。巳波はそのままベッドに駆け寄った。部屋の誰もが、信じられないという顔をしていた。部屋中が混乱していた。そんな時……息子も、ぱちりと目を開けた。
「紡。……紡!」
名前を呼んで、手を握る。巳波の声が聞こえたのか、ゆっくりと……紡が目を開ける。
「棗……。……巳波……さん?」
「……紡……!」
巳波は子供をそっとおろして、紡の体を抱きしめた。まだぼんやりとしていて、焦点は定まっていないが、巳波の名前を呼んだ。
奇跡は起きた。巳波は次に子供たちを抱きしめて、よかった、よかった、と涙ながらに言った。
紡は少しずつ回復していった。退院してしばらくも、ベッドから自分で起き上がることはなかなか難しかったが、巳波も全力でリハビリと世話に徹した。
「……夢、だったのかな」
「夢?」
「長い夢を見てたんです……」
「……夢占い、して差し上げますよ。どんな夢、見てたんですか」
「……私たちが……付き合ってなかった頃の……でも……なんか、妙なんですよね。最後、目を覚ます前……夢の中の巳波さんが、急に子供たちの名前を言って……パパが泣いてる、とか言って……。私、あれは……巳波さんじゃなかったと……思うんですよね……」
「……そう、ですか……」
ぼんやりとしている紡とは裏腹に、巳波はそっと、眠っている息子の姿を眺めた。あの時、娘は起きていたが、息子はずっと眠っていた。息子は生まれつき、やや体が弱い。七瀬陸のことを思った。彼もまた、生まれつきずっと死に近いから……幽霊が見えたりと、スピリチュアルな一面を持つ。
「……巳凪じゃないかな」
「え?」
「貴方を迎えに行ったの。巳凪だと思います……根拠は……ないですけど」
自分でも馬鹿らしいことを言っただろうか、と思い、巳波は自嘲気味に笑った。しかし、紡は何だかしっくりきたような顔をしている。
「そう、なのかも。巳凪かぁ。そっか……迎えに来てくれたんだね……」
「……ねえ、紡」
「はい」
「貴方は……生きるためにもしかしたら、別の……パラレルワールドに行っていたのかもしれません。でも……そんなの嫌です。私がいる、この世界で生きていて」
「……巳波、さん」
「私、わがままなんです。知っているでしょう。……わがまま、聞いてください。ずっとそばにいて……ちゃんと私の、私の家族でいて」
そう言いながら、優しく紡を抱きしめると、紡は力がないまま、そっと巳波の背に手を伸ばした。
「……貴方を、他の世界の私にだってあげません……」
私だけの貴方でいて。そしてこの子達の、親でいて。
巳波の言葉に、そっと紡は目を閉じ、寄り添った。
幸せな夢を見ているのだろうか。二人の息子もまた、微笑んだ気がした。
畳む 230日前(金 21:40:52) SS,二次語り
「紡!」
病院の廊下を勢いよく走っていく滑車を、巳波は追いかけながらも、集中治療室で遮られ、その扉にべったりと体をくっつけ、苦しそうな声をあげていた。
遺伝の可能性がある。早くに亡くなることもあるかもしれない。――お義父さんから結婚前に言われたことだった。覚悟はしていた。それでも。それでも。
両脇に抱えた、まだ自立できない子供たちを抱きしめた。巳波と紡の間に産まれた、ふたつの命。双子の愛する子供たち。
「……早すぎ、ですよ……こんなんじゃ……あんまりだ……」
かすれた声と共に、巳波は膝から崩れ落ちていく。
集中治療室のランプは、赤いままだった。
★
ハッとした時、紡はいつも通り小鳥遊プロダクションにいた。いつも通りスーツ姿で、髪をしっかりとまとめ、自分が整理している書類は……数年前、アイドリッシュセブンが行っていた仕事だ。懐かしい、と思いながら、しかし……日付を見て、言葉を失う。
(……時間が……戻って、る……?)
どこの日付を確認してもそうだった。「あの時」のまま。言葉を失う。そんな紡に、声をかけたのは万理だった。
「紡さん、どうしました?」
「……あ、あの、万理さん。つかぬことをお伺いしますが……。……私って、小鳥遊紡……です、か?」
「え?は、はい……?」
「……子供とかって……いません、よね?」
「え!?子供、いらっしゃるんですか!?だ、誰と……」
「ああいえ!いません!あは、あ、あはは!」
愛想笑いをしながら、スケジュール帳を見て、それでは、と別れを告げる。プロダクションを出て、アイドリッシュセブンのみんなと一日を共にする。
(……今まで……)
ぼんやりと、思い出す。そう、私は……棗巳波と結婚して、棗紡になって。子供も二人いて。けれど……当初考えたように、時間が戻るなんてありえることでもない。だから。
(……今までのことが、夢だったんだ……)
ものすごく長い夢を見ていた。
ただ、それだけだったんだ。
……きゅ、と、紡の胸の奥が痺れていく。
「ŹOOĻさん、今日はよろしくお願いします。あ、悠さん、メイク変えたんですね!巳波さんも、新しい衣装とても似合ってて……」
いつも通り挨拶をかわそうとして、そう呼んだ時、亥清悠も棗巳波も怪訝そうな顔をした。そうだ。あれは、夢だったんだ。私たちは……名前で呼ぶような仲ではなかった。あの日、あの時、突然巳波が接触してくるまで、紡はŹOOĻのメンバーを名前で呼ぶことは無かった。だから。
「……あ、その!すみません、昨日……番組見てたら、呼び方がうつっちゃって!」
「あー……そう?」
「そう、ですか?」
「すみません、失礼いたしました。それでは、また後ほど……」
そんな巳波の反応を見て、紡は確信した。
夢、だったのだと。
でも、まあ、そうか、とも思う。自分は他社のタレントと付き合わないと決めていたし、あんなに魅力的なタレントが自分のようないちマネージャーに惚れ込んでくれるのだって、夢みたいな話で。
夢であったほうが、しっくり来てしまう話で。
(……そっか)
夢の中での感覚は、いまも生々しく紡の心に、体に残っている。なんども重ねた唇も、なんども重ねた体も、子供も。恥ずかしい。すべて、嘘だったのに。
(……私って、深層心理で棗さんのこと、好きだったのかなぁ)
巳波さん、そう口が覚えている。これも……長い夢を、見ていたせいなのだろう……。
それから数日が経った。やっとŹOOĻに対して親し過ぎない距離を思い出したし、うまく付き合えていると思っている。仕事も、なんだかやったことがあるようなものもあれば、違うものもある。忙しいけれど、紡はこの忙しさが嫌いではなかった。
紡はこの局で、見晴らしがよく人がいない……裏を返せば使いづらいこの休憩所が好きだった。自動販売機でコーヒーを買って、景色を見ながら一息つく。秘密の休憩所。と。
「……お隣、よろしいですか?」
「……!み……棗さん!ええ、どうぞ!」
「では失礼します」
棗巳波は一人だった。紡はほんのり緊張しつつ、長い夢のことを思い出しては思考から消した。勝手にこの人との存在しない未来を紡いでいた。それが恐ろしかった。しかし……紡だって巳波を愛してしまっている。だから、その横顔も……やや振り返った顔も、仕草も、服装や体つきも。……そっと、手を伸ばして触れたくなる。そんなふうに思えて、違う、やってはいけないのだ、と心を押さえ込んだ。
「ŹOOĻさん、いま休憩なんですか?」
「いえ、今日は私、撮影のお仕事で。だからひとりですよ。ここ、いいですよね、休憩所、静かで」
「あはは、私も好きなんです。わかります」
「ふふ」
巳波は笑いながら、そっと右側の髪を耳にかけた。紡だけでなく、ファンも知っている。彼の癖だった。細長く白い指が、色素の薄い髪を梳くその仕草は、人気の一因にもなっている。しばし見惚れながら、慌ててコーヒーをあおった。ホットだったのを忘れて、飲み込めずに苦しんでから、ようやく飲み込むと、隣の巳波はクスクスと笑う。
「大丈夫ですか。慌てて飲まない方がいいと思いますよ」
「す、すみません……!」
「火傷しますよ」
「そ、そうですよね」
「……それでは私はアイスコーヒーを飲み干したので。仕事に戻ります、また現場が同じ時はよろしくお願いしますね、小鳥遊さん」
「あっ……はい!み……。棗さんも、撮影頑張ってください!次のドラマも、楽しみにしてますから!」
巳波は一瞬紡に対して目を丸くしてから、いつものように読めない笑顔で別れを告げて去っていく。歩いていく。離れていく巳波の後ろ姿を見ながら、紡は自分の気持ちを持て余していた。
(……早く、忘れなきゃいけないのにな)
夢、なんて。体のどこかがぎゅっと傷んだ。
長い夢の中で、巳波と紡の運命が交差したのも突然の事だったな、と紡は思った。仕事が少ない日はいけない、余計なことを考えてしまう。元から紡は仕事人間だ。高卒で父のプロダクションへ入社し、七瀬陸やアイドリッシュセブンのメンバーを応援すること。ひいては彼らを売ること。それだけを考えて、ここにいた。そんなある日、巳波が紡に声をかけたのだ。
――小鳥遊さん、マネージャーやメンバーに言えない悩みがあって。聞いて欲しいんですけど。
そう言われたら、紡は断れない。今思えば、夢の中の巳波はそれを知っていたのかもしれない。アイドルを応援することが、紡の生きがいだから。そんな彼らが悩んでいるのなら、いくらだって身を切り売りする。
だからこそ、付き合ってくれ、と言われた時には紡は……嫌悪感すら覚えたのだ。
『それは、どこへお付き合いすればよろしいんでしょう』
『いえ。恋人として、お付き合いがしたいという意味ですよ』
『……他社のタレントさんとそのような関係にはなれません。すみません』
『ああ、待ってください。……この業界、タブーとはされてますけど他社のタレントとどこかの事務員やマネージャーが恋愛関係を持つのは珍しい事じゃありませんよ。そんな理由で私を振らないで』
『すみませんが……』
『待って。タレントの棗巳波ではなく、私を……棗巳波という一人の男として、見て、考えて下さい、お返事はいつだって構いません』
『お断りいたします。私たちは連絡先も知らないじゃないですか……すみません、お話がそれだけなら、失礼します』
『……ああ、小鳥遊さ――』
あの天才子役、芸能界でも新人よりもベテラン寄りの棗巳波ですら、誰か女性を求める。それは、紡にとって少しショックな話でもあった。悩みがあると呼び出されて、告白されたことに裏切られた気持ちもあった。……紡は俳優・棗巳波のファンのひとりでもあったからだ。
自分は秀でて容姿がいいわけでもないし、なにか能力があるわけでもない。タレントが自分を好むのだって、ちょうどいい遊び相手なのだろう。紡はずっと、そう思っていた。それからは巳波にはそれまで以上に近寄らなくなった。少し距離を置けば、きっとわかってくれる。そう思って。
けれど、夢の中の巳波はそうではなかった。それを機に、柔らかく話しかけてくる回数が増えた。邪険にするほどでもないが、デートに誘われることすらあった。全て断った最後に、巳波は名刺を渡してきた。
『名刺なら、もう持ってますけど……』
『……裏、私のラビチャIDが載ってますから』
少し紡に顔を近づけ、こっそりそう言う巳波は、ミステリアスで大人っぽい雰囲気ではなく、イタズラを考えている子供のようだった。それなら頂けない、と断る紡に無理やり押し付けて、巳波は去っていった。
結局その数日後、紡は現場が混乱した際に宇津木と連絡がうまく取れず、悩んだ末に巳波のIDに連絡をした。
『すみません、宇津木さんと連絡が取れなくて。ただいま現場が混乱していまして……』
『ご連絡、ありがとうございます。そうみたいですね。ŹOOĻ、出番早まりました?』
『はい、Aスタジオで5分後に、と言われたんですが』
『大丈夫です、揃っていますので向かいます』
『ありがとうございます』
初めてのラビチャも、そんな簡素な業務連絡だったのだ。
★
「ぱーぱ?」
「……はい、パパですよ」
「まーま……」
「……ママは……いま、眠いんだって……」
「まーま……」
「はやく……起きてくれたら、いいのにね……」
双子のうち、妹は元気がよく、発話も早かった。パパ、ママ、は理解して使っているようだった。兄の方は発話は妹ほど進んでいないが、眠ったり起きたりするたび、母親を見つめている気がする。
今夜が山ですね。医者はそう言った。心電図の音が無機質に響く部屋。点滴に、吸入器に、様々な機械が……彼女の、妻の体を覆っている。
彼女は愛されている。だから、色んな人が病室までかけつけてくれたらしいのだが、家族ですら無理やり入れてもらっただけだった。誰も会わせることは出来ないと言われた。それを押し切って妻に会わせてもらっている。
「……紡……」
名前を呼んでも、彼女の目が開くことは無い。苦しそうにする彼女に出来ることは……そっと、手を握ることだけだった。しかし、その手が握り返してくれることは無い。
彼女の左手を、そっと両手で包み込んだ。その薬指には、自分がはめた結婚指輪がしっかりと存在している。
「……紡、行かないで。帰ってきて……どうか……」
私を置いていかないで……。
巳波の悲痛な声も虚しく、心電図の音は、次第にゆっくりと響いていった。
★
毎日をもっと忙しくして、余計なことを考えるのをやめよう。紡はそう思い、仕事を増やしてもらってすらいた。今までよりもっと現場に出て、今までよりも事務仕事をした。変な夢など、早く忘れてしまおう。……棗巳波に、迷惑だ。他社のタレントに迷惑をかけてはいけない――。
「……紡さん、大丈夫ですか?そんなに忙しくして」
「あはは、大丈夫ですよ」
心配そうにする万理やアイドリッシュセブンの彼らを受け流し、本当は少しキツイくらいで毎日を回した。体も心もキツかった。けれど、それでいいと思った。
何もしていない時間に、長かった夢のことを考えてしまう自分が嫌だったのだ。その分、どんどん仕事にのめり込んでいった。
(今日は……共演はŹOOĻ……)
スケジュールを見て、気を引きしめる。ŹOOĻとは特に注意して、それなりの距離を保たねばならない。……夢の中で随分と、親しくしてしまったから。
楽屋に挨拶をする時も、できるだけ儀礼的に済ませた。そのあとマネージャー同士で挨拶して、そそくさと去った。
変なところはなかっただろうか、そんな不安を抱えつつ、次の仕事の準備にかかる。提出しなければならないものも、作成して。目が回るような……いや、目を回すための仕事を必死にこなしていく。アイドリッシュセブンの出番の直前には袖に一緒についていた。ちょうど……アイドリッシュセブンの前は、ŹOOĻだったようだった。
ふと顔を上げた時、軽々とパフォーマーの二人が側転をして、紡は目を奪われた。やはり、美しい。ŹOOĻは全てがハイパフォーマンスで。綺麗で。
……棗巳波は、とても……美しい。
出番を終えたŹOOĻが戻ってくる。アイドリッシュセブンが入れ替わる。メンバーを見送る。歩いてくるŹOOĻが、自分の隣を通った。自然と目が追う。汗だくの彼らは、いつかの険悪な雰囲気ではなく、お互いを信頼したリラックスした雰囲気で、笑いあっている。……微笑ましい気持ちで見つめていると、ふと、棗巳波と目が合った。こちらを、訝しんでいるのだろうか。
しまった。
紡は急いで目をそらす。
これでは……まるで、紡が巳波に惚れているかのようじゃないか。
仕事。仕事。仕事仕事仕事仕事仕事。
仕事で流し込んでしまおう、こんな想いも、気持ちも、夢も、全てを……。
詰めに詰めた紡の仕事が一段落したのは、数日後の日付も変わった頃だった。アイドリッシュセブンを全員家に帰し、紡は局の人のいない休憩所で、倒れるように座り込んだ。
「……疲れたな……」
そのおかげで、余計なことは考えなくなっていった。あの夢のことも、少しずつ忘れていっている。これでいいんだ。そのまま、睡魔が襲ってくる。
こんなところで寝てはいけない。そう思いながらも、体はそのまま沈んでいった。
「……あれ……」
目を覚ました時、時計を見て一時間ほど眠っていたのだとわかった。起き上がろうとした時、する、と何かが自分の背から落ちた。……上着だ。落ち着いた色のコートには、見覚えがある。そっと拾うと、隣に誰かいることに気がついて……自分を覗き込んでいる人物に気がついた。
「……み……棗、さん」
「おはようございます、小鳥遊さん。起こしたんですけど、全然起きなかったので。疲れているのではないですか。最近、忙しくしていたように見えましたが」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
まさか、貴方のことを忘れたくて頑張っていた、とも言えない。忘れるも何も、現実では紡と巳波の間には何も無い。紡は眠っていたことを知られた恥ずかしさも相まって、とりあえずコートを綺麗に畳んで、巳波に差し出した。そんな様子を見て、巳波はまた笑う。
「……あの、小鳥遊さん」
「あ、はい、なんでしょう」
「……帰るべき所へ、帰るべきなのではないかと思いますよ、私は……」
「……?なんの、話……」
巳波は紡に渡されたコートを手で撫でながら、紡をじっと見つめた。
「数日前、突然貴方は私と亥清さんを名前で呼んだ。それまで少し距離のあった私たちと、ある日突然、まるで……そうですね、バグを起こしたかのように近づいて。けれど、今度は慌てて離れて……」
「あ、あは、は……すみません!たまたまŹOOĻのみなさんの活動を勉強していたら、気持ちが近くなってしまって」
「貴方は仕事に対してプロフェッショナルです。そんな言い訳、信じられませんよ」
紡は巳波の顔を盗み見た。なんとも言えない。それは、何も感じさせないように、こちらに悟らせないようにとする時の巳波の表情そのものだった。
「……ねえ、小鳥遊さん……」
巳凪と巳麦という名前、聞き覚え、ありませんか。
巳波が言った。紡はしばらく、言葉を発せなかった。
それは……紡と巳波の、あの夢の中で出来た、双子の子供の名前だったから。
「……な、なんで……なんで、それを、棗さんが」
その名前を。
そう言った紡の顔を見て、ふ、と巳波が笑う。そう思ったあと、紡は……いや、と思いなおす。
この人は……。本当によく似ているが、この人は……棗巳波では……ない。姿形は、棗巳波だけれど……。そう思った通り、巳波であることをやめたかのように、口調を崩して笑う。
「……ねえ。そろそろ、起きて。……パパが、ずっと泣いてる」
「……貴方……は……」
紡。
名前を呼ばれた気がした。途端、世界が次々歪に壊れていく。
紡……。
まるで壊れた画像データのように、一部ずつ、世界の景色が崩れていく。
「……さあ」
巳波の姿をした、彼が手を差し出した。
「帰ろう、ママ。ここは……ママが居るべき世界じゃないよ。元の世界に、帰ろう……」
★
心電図が高い音を鳴り響かせた後、何も巳波の頭に言葉は入らなかった。医師は彼女の体を確認していく。……死んでいることを、証明するために。
娘は泣いていた。息子は眠っていた。……巳波もまた、泣いていた。
そんな巳波が病室を出ていこうとしたその時……心電図の音が……少し、変わった。はっとして、振り向く。巳波はそのままベッドに駆け寄った。部屋の誰もが、信じられないという顔をしていた。部屋中が混乱していた。そんな時……息子も、ぱちりと目を開けた。
「紡。……紡!」
名前を呼んで、手を握る。巳波の声が聞こえたのか、ゆっくりと……紡が目を開ける。
「棗……。……巳波……さん?」
「……紡……!」
巳波は子供をそっとおろして、紡の体を抱きしめた。まだぼんやりとしていて、焦点は定まっていないが、巳波の名前を呼んだ。
奇跡は起きた。巳波は次に子供たちを抱きしめて、よかった、よかった、と涙ながらに言った。
紡は少しずつ回復していった。退院してしばらくも、ベッドから自分で起き上がることはなかなか難しかったが、巳波も全力でリハビリと世話に徹した。
「……夢、だったのかな」
「夢?」
「長い夢を見てたんです……」
「……夢占い、して差し上げますよ。どんな夢、見てたんですか」
「……私たちが……付き合ってなかった頃の……でも……なんか、妙なんですよね。最後、目を覚ます前……夢の中の巳波さんが、急に子供たちの名前を言って……パパが泣いてる、とか言って……。私、あれは……巳波さんじゃなかったと……思うんですよね……」
「……そう、ですか……」
ぼんやりとしている紡とは裏腹に、巳波はそっと、眠っている息子の姿を眺めた。あの時、娘は起きていたが、息子はずっと眠っていた。息子は生まれつき、やや体が弱い。七瀬陸のことを思った。彼もまた、生まれつきずっと死に近いから……幽霊が見えたりと、スピリチュアルな一面を持つ。
「……巳凪じゃないかな」
「え?」
「貴方を迎えに行ったの。巳凪だと思います……根拠は……ないですけど」
自分でも馬鹿らしいことを言っただろうか、と思い、巳波は自嘲気味に笑った。しかし、紡は何だかしっくりきたような顔をしている。
「そう、なのかも。巳凪かぁ。そっか……迎えに来てくれたんだね……」
「……ねえ、紡」
「はい」
「貴方は……生きるためにもしかしたら、別の……パラレルワールドに行っていたのかもしれません。でも……そんなの嫌です。私がいる、この世界で生きていて」
「……巳波、さん」
「私、わがままなんです。知っているでしょう。……わがまま、聞いてください。ずっとそばにいて……ちゃんと私の、私の家族でいて」
そう言いながら、優しく紡を抱きしめると、紡は力がないまま、そっと巳波の背に手を伸ばした。
「……貴方を、他の世界の私にだってあげません……」
私だけの貴方でいて。そしてこの子達の、親でいて。
巳波の言葉に、そっと紡は目を閉じ、寄り添った。
幸せな夢を見ているのだろうか。二人の息子もまた、微笑んだ気がした。
畳む 230日前(金 21:40:52) SS,二次語り